第百十五話 「新しい社会」とは女性社会

宗教と科学は実は同じ穴の狢だった。
つまり、難しく言えば、二律背反関係にある、歪んだ「二元論」であったわけです。
新田哲学では、「好いとこ取りの相対一元論」、つまり、間違った「二元論」の関係にあると言い換えてもいいでしょう。
「二元論」の本質は、二元要因が補完関係にある点であって、対立関係(二律背反関係)にあるのは、「二元論」の本質から外れているわけです。
わかり易く言えば、一枚のコインの裏表が「二元論」の二元要因であって、切っても切り離せない関係にあるわけで、それを補完関係にあると言います。
一方、対立関係(更に小難しく言えば、二律背反関係と言う)にあるということは、一枚のコインの裏表ではなく、二枚のコインが正反対の関係にあり、そもそも一枚ずつの別ものの「一元論」であって、「二元論」は成立していないわけです。
正反対の一枚ずつのコインのどちらか一方を選ぶから、「好いとこ取りの相対一元論」と言っているわけで、要するに「相対」と呼ばれるものは、「まやかし」が正体なのです。
宗教が受身的であるのに対して、科学は攻撃的である。
宗教が女性的であるのに対して、科学は男性的である。
科学者が「宗教は麻薬である」と主張する根拠が、この正反対性にあるわけですから、攻撃的な宗教は論外であることは言うまでもないのですが、そうすると宗教戦争や嘗ての十字軍遠征を指示したローマ教皇は、宗教の本質である受身的である点からも逸脱していることになります。
イラク戦争の張本人であるイラクの背後にはイスラム教があり、アメリカの背後にはキリスト教があって、お互いに聖戦と叫んでいるのは、まさしく宗教戦争です。
従って、宗教も科学と同じ攻撃的になっている。
だから、宗教・科学を生んだ人間社会だけがオス(男性)社会になってしまったわけです。
二十一世紀の「新しい社会」とは、地球上の全生命体が絶滅の危機から脱出できた暁の社会に外なりません。
つまり、宗教・科学から脱却した社会に外ならない。
二十一世紀の「新しい人間」とは、地球上の全生命体が絶滅の危機から脱出できた暁の人間に外なりません。
つまり、宗教・科学から脱却した人間に外ならない。
宗教・科学から脱却した「新しい人間」とは女性のことであり、「新しい社会」とは女性の社会のことに外なりません。
つまり、「女性社会」が登場することに外なりません。
言い換えれば、
「受身的社会」が登場する。
人間社会だけにある差別・不条理・戦争は「科学社会」だったからです。
人間社会だけにある差別・不条理・戦争は「男性社会」だったからです。
人間社会だけにある差別・不条理・戦争は「攻撃的社会」だったからです。
更に言い換えれば、
差別・不条理・戦争は支配・被支配二層構造と世襲・相続の差別制度が生んだからです。
そうしますと、
最も弱き生き物の時代は、他の生き物と同じメス社会を構成していたのに、最も弱き生き物ゆえに、知性という武器を得て、最も強き生き物になった結果、人類だけにオス(男性)社会が生まれ、オス(男性)社会ゆえに、支配・被支配二層構造と世襲・相続の差別制度が生まれ、支配・被支配二層構造と世襲・相続の差別制度ゆえに、差別・不条理・戦争の社会になってしまった。
その悪循環が、更なる宗教・科学を生み出しているのが現代人間社会に外ならないのです。
地球温暖化問題を筆頭に地球環境問題が噴出しはじめたのは、悪循環が極大状態になったからに外なりません。
そして、「新しい人間」による「新しい社会」が登場する。
それが「女性社会」です。