第百十六話 「男性らしさ」と「女性らしさ」

人間社会だけにある嘗ての「オス(男性)社会」とは、「オス(男性)が支配する社会」ではなくて、「オス(男性)らしい社会」に外ならなかったのですが、現代人間社会は「オス(男性)らしい社会」でなくなっているから、超拝金主義が蔓延しているのです。
つまり、“お金がすべてだ!”という世の中になっているのです。
嘗ての「オス(男性)社会」には“聖職”という言葉がありましたが、今では死語になっています。
政治家、役人、宗教者、医者、教育者といった人たちは、嘗ては聖職者と呼ばれ、一般の人たちから尊敬されていましたが、経済的には決してお金持ちの部類にはなれなかった。
お金儲けとは商売(事業)をすることで、お金儲けには一種の疾(やま)しさが潜んでいるという通念があったから、お金儲けをしないで世の中の為になる仕事を“聖職”と呼んだわけで、政治家、役人、宗教者、医者、教育者といった人たちはお金儲けに無縁だったわけです。
イギリスという国では今でも商売人(事業家)は高く評価されておらず、いわゆる聖職が高く評価されています。
日本でも、聖職者たちはお金儲けに無縁だったから、税金をあまり取らないように国も計らった。
優遇税制度がそうです。
ところがこれが仇になった。
アメリカでは脱税(節税)が一番のお金儲けだと考えられています。
アメリカ最大のお金持ちであるロックフェラー家は、いまだ嘗て税金を1セント足りとも収めたことがないと言う。
優遇税制度が、政治家、役人、宗教者、医者、教育者といった連中にお金儲けをさせてしまったのです。
嘗ての政治家は“井戸塀政治家”と呼ばれ、政治家になれば逆にお金を吐き出す結果、屋敷が井戸と塀だけしか残らなくなる、それほど、お金儲けには無縁な仕事だったから“聖職者”と呼ばれて尊敬されていたのです。
ところが、“聖職”が“お金儲け”に変わってしまったのが現代日本社会です。
「オス(男性)らしい社会」でなくなったわけです。
自然社会は、腕力の強いオスが一見ボス、つまり、支配者のように見えますが、実はボスではなく、外敵からグループを守る防衛長官に過ぎません。
オスは子種を提供したらご用済みで、グループから追い出されるのが宿命の動物の方が圧倒的に多いのがその証明です。
つまり、自然社会は「メス社会」なのです。
「メス社会」がオスに要求するものは、子種の提供と防衛長官の役目だけなのです。
支配力を要求しているのではなくて、「オスらしさ」を要求しているのです。
「オス(男性)社会」を構成している人間社会も、嘗ては「オス(男性)らしい社会」を実現していたから、問題が噴出せずに済んでいたのですが、二十一世紀に入って、オス(男性)がオスらしく(男性らしく)振舞わなくなった。
その理由は、物質主義(唯物主義)が高じて、拝金主義、更には、みんながお金を欲しがる超拝金主義の「オス(男性)社会」に堕落してしまったからです。
そうなると、「オスらしさ」を発揮する社会ではなくなり、人間も自然の生き物の一種だから、自然社会に回帰して、「メス(女性)社会」に戻るのは当然の帰結です。
「オス社会」とは、「オスが支配する社会」ではなくて、「オスらしい社会」に外ならない。
従って、
「メス社会」とは、「メスが支配する社会」ではなくて、「メスらしい社会」に外ならない。
二十一世紀に生きる女性たちが、肝に銘じて置くべき最も大事な要件であります。