第百十七話 超拝金主義

すべての人間が、“お金がすべてだ、お金が一番大事だ”と考えるようになることを超拝金主義という実体のないものと言い、実体のある拝金主義とはまったく違うと、新田哲学では言っています。
平たく言えば、お金持ちと貧乏人が共存しているのが拝金主義であり、お金持ちしか存在しないのが超拝金主義であるわけで、お金持ちしか存在しない社会なんて在り得ません。
“聖職者”とは、お金持ちと貧乏人の間を繋ぐ天使であったわけです。
“聖職者”がいるから、貧乏人も貧乏人の好さを享受できる生き方を見出し、お金持ちも金儲けの疾(やま)しさを“聖職者”を介して貧乏人に寄付することで軽減して来れたわけです。
アメリカやヨーロッパのお金持ちが、寄付行為をするのは、金儲けの疾(やま)しさを軽減する行為に外ならないのです。
これは拝金主義です。
ところが現代日本社会に蔓延っているのは、みんなお金持ちを志向する超拝金主義という代物ですから、金儲けを疾(やま)しいものだと思っていないのです。
だから、現代日本社会に生まれた新しいお金持ちは寄付行為など思いもつかない。
ところが、いくらみんながお金持ちを志向しても、現実には一握りのお金持ちと、圧倒的多数の貧乏人が生まれ、やがて、寄付しないお金持ちに反感を抱くようになります。
そして、遅かれ早かれ、そんな社会は崩壊します。
嘗ては、お金持ちと貧乏人は、仲良くはなれなくても、お互いに自分たちの世界で満足していたわけで、その潤滑油の役割をしていたのが“聖職者”であったわけです。
だから、お金持ち、つまり、支配者側は、“聖職者”に優遇税制度を適用したわけです。
ところが、その“聖職者”たちがお金持ちを志向しはじめた。
政治家はお金持ち。
高級役人はお金持ち。
坊主はお金持ち。
医者はお金持ち。
大学教授はお金持ち。
弁護士はお金持ち。
天使が悪魔になってしまった。
これが現代日本社会であり、その結末は崩壊しかありません。
超拝金主義の正体がここにあります。
「メス(女性)社会」が出現する夜明け前の真暗闇現象が超拝金主義であるわけですが、この現象は、「メス(女性)らしい社会」の夜明け前では決してありません。