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第百十九話 「超」の世界 「オス(男性)社会」と「オスらしい(男性らしい)社会」とは違います。 「メス(女性)社会」と「メスらしい(女性らしい)社会」とは違います。 オスらしさ(男性らしさ)を失ったオス(男性)は「メス(女性)社会」をつくります。 メスらしさ(女性らしさ)失ったメス(女性)は「オス(男性)社会」をつくります。 現代社会は、オス(男性)がオスらしさ(男性らしさ)を失った結果、メス(女性)がメスらしさを失い、「メス(女性)社会」になろうとしています。 自然の世界は、オスはオスらしく、メスはメスらしく振舞う「メスらしい社会」です。 これが生きとし生けるものの本当の姿なのです。 最も弱き生き物であった人類が最も強き生き物に変貌する中で、先ず「メスらしい社会」から「オスらしい社会」に変身し、「オスらしい社会」から「オス(男性)社会」に変節し、「オス(男性)社会」から「メス(女性)社会」に更に変節したのが現代人間社会であるわけです。 最終的には「メスらしい(女性らしい)」社会に変貌することで円回帰運動が完結して、真の最も強き生き物に変貌することができるのです。 一元論から始まって、二元論を通過して、三元論に到達する。 一元論(始点)→二元論(円周)→三元論(終点) 一元論(始点)=三元論(終点)ではなくて、三元論(終点)は一元論(始点)の進化形態であるわけです。 拙著「(静止)宇宙論」第二部【絶対性理論】第三十七章(進化)を以下引用します。 我々人間は、一元論を基本にした在り方と二元論を基本にした考え方を超えた三元論的生き方をするべきだ。 我々人間は、絶対則を基本にした在り方と相対論を基本にした考え方を超えた絶対・相対論的生き方をするべきだ。 我々人間は、静止を基本にした在り方と運動を基本にした考え方を超えた静止・運動的生き方をするべきだ。 我々人間は、実在を基本にした在り方と映像を基本にした考え方を超えた実在・映像的生き方をするべきだ。 つまり、 「一元論」+「二元論」が「三元論」に進化する。 「絶対則」+「相対論」が「絶対・相対論」に進化する。 「静止」+「運動」が「静止・運動」に進化する。 「実在」+「映像」が「実在・映像」に進化する。 つまり、 (10・11・12・13・・・110・・・1100・・・11000・・・1n) +(20・21・22・23・・・210・・・2100・・・21000・・・2n)が[(1+2)0・(1+2)1・(1+2)2・(1+2)3・・・(1+2)10・・・(1+2)100・・・(1+2)1000・・・(1+2)n ]に進化し、進化係数は(n*1(n-1)*2)・・・ (n*1*2(n-1))、つまり、2(n)に外ならない。 従って、 「一元論」+「二元論」=「三元論」ではない。 「絶対則」+「相対論」=「絶対・相対論」ではない。 「静止」+「運動」=「静止・運動」ではない。 「実在」+「映像」=「実在・映像」ではない。 従って、 1+2=3ではない。 つまり、 1+2が3に進化することだ。 つまり、 「超える」とは「進化する」ということだ。 自然社会における「メスらしい社会」が一元論世界であるのに対して、人間社会における「メスらしい(女性らしい)社会」は三元論世界であるのです。 一見、同じように見えても、「メスらしい社会」から「オスらしい社会」を経て、二元論世界である「オス(男性)社会」、更には、「メス(女性)社会」を経て、「メスらしい(女性らしい)社会」に最終進化する。 メスらしさ→女性らしさに進化するわけです。 進化の最先端を走っている生き物の使命がそこにあるのです。 その時はじめて、「超」の世界が実現するのです。 |