第百二十一話 膨張(発展)から収縮(調和)

人類が生み出した文明とは一体何であったのでしょうか。
わたしたち人間は、人間社会だけの為に、利便性や快適性を追求してきました。
文明の正体はこの点にあり、それに加担してきたのが、古代・中世の時代では宗教であり、近代・現代の時代では科学であったわけです。
自然社会には宗教、科学が一切ないのがその逆証明になります。
自然社会には無い宗教、科学を生み出した人類を「万物の霊長」などと傲慢に思うようになった結果、自然社会、つまり、地球から逸脱する生き方をするようになったわけです。
人類は神によってエデンの園から追放されたのではなく、自ら出ていったのです。
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教のバイブルである旧約聖書の言っていることが事実無根であることが、二十一世紀になって地球温暖化といった地球環境問題が噴出したことで証明されたのです。
神が人類をエデンの園、つまり、自然社会から追放したのであれば、なぜ人類は自然社会(エデンの園)を傷つけるようなことができるでしょうか。
追放されて自然社会(エデンの園)に恨みを持っていても、自然社会(エデンの園)の主人は神なのですから、自然社会(エデンの園)を傷つけることは神への造反以外の何ものでもないし、そんなことは不可能なことである筈です。
何故ならば、神は人知を超えた万能の存在なのですから。
“神が人類をエデンの園から追放した”
これは真っ赤な嘘としか言い様がありません。
宗教とはそんな代物であります。
科学とはそんな代物であります。
わたしたち人間は、なぜこんなシンプルなことがわからないのでしょうか。
わたしたち人間だけが錯覚(勘違い)しているからで、だから、差別・不条理・戦争を続けるのです。
人間社会だけの為の利便性や快適性を追求してきた文明の主役である宗教や科学は、進化には必ず退化という反面を擁していることを考慮せずに、攻撃的(男性的)であり続け、その反動で今は受身的(女性的)に変身する過程にあるわけです。
従って、一時的には受身的(女性的)な宗教や科学が登場するでしょうが、所詮は一過性の問題で、やがては、メスらしさ(女性らしさ)、オスらしさ(男性らしさ)を発揮する社会がやってくるのです。
これまでの宗教・科学が消滅するのが二十一世紀という時代なのです。
まさに反転の時代であります。