第百二十二話 発明と発見

攻撃的な宗教は二十一世紀には消滅する。
攻撃的な科学は二十一世紀には消滅する。
攻撃的な社会は二十一世紀には消滅する。
二十一世紀は受身的な社会、宗教、科学が登場する。
つまり、「メスらしい(女性らしい)社会」の前段階として受身的な宗教、受身的な科学が登場するわけです。
宗教は受身的に捉えられていましたが、実は科学と同じように攻撃的であることは宗教戦争が証明しています。
キリスト教とイスラム教が啀み合っていることがまさにその証明です。
宗教が排他的であることがまさにその証明です。
“自分たちの宗教が唯一正しくて、他の宗教はみな邪教である”
宗教が攻撃的である証明です。
“世界が一つにならないと戦争はなくならない”
グローバリズムの考え方ですが、それよりも先ず、“世界の宗教は一つにならなければ戦争はなくならない”
宗教のグローバリゼーションが先決問題であります。
受身的な宗教のヒントがここに隠されているようです。
では受身的な科学とは一体どんなものでしょうか。
発明と発見とは違います。
発明とは攻撃的ですが、発見とは受身的です。
攻撃的な科学のベースになっているのが発明ですが、受身的な科学のベースは発見にあります。
わかり易く言えば、発明とは“捏造”であるのに対して、発見とは“気づき”であります。
よくよく考えてみれば、わたしたち人間が発明したものによって、人間社会だけの利便性、快適性は実現しましたが、その結果、地球温暖化といった地球環境問題が発生したわけで、人間の発明とは、地球にとっては“捏造”以外の何者でもない。
発見とは、地球に関しての発見であって、わたしたち人間の肉体を「小宇宙」と言うように、地球に関する発見は、自分に関する発見に外ならないのです。
その時、わたしたち人間の生みの親である地球は、“自分のことをまた一つわかってくれた!”と想って喜んでくれるでしょう。