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第百二十三話 女性的聖職 攻撃的な宗教、攻撃的な科学、そして、攻撃的な社会は二十一世紀には消滅して、受身的な宗教、受身的な科学、そして、受身的な社会が二十一世紀に先ず登場する。 そして、その後に「メスらしい(女性らしい)社会」が本格的に登場する。 二十世紀までの「オス(男性)社会」において存在した“聖職者”はまさに、オスらしい(男性らしい)人間であったのですが、オス(男性)がオスらしさ(男性らしさ)を失った時から、“聖職者”は徐々に消えてゆき、オス(男性)がオスらしさ(男性らしさ)を完全に喪失した時、「メス(女性)社会」が登場し、“聖職者”は完全に消えてしまったのが現代日本社会です。 “聖職者”が日本社会から消えてしまった原因は、 (1) オス(男性)がオスらしさ(男性らしさ)を失ったこと (2) 「オス(男性)社会」から「メス(女性)社会」に変わったこと の二つであります。 “聖職者”とはオスらしい(男性らしい)職業と言えるわけです。 では、メスらしい(女性らしい)“聖職者”はいないのか。 結局の処、“聖職者”とは“オスらしい”、“メスらしい”職業です。 従って、メスらしい(女性らしい)“聖職者”がこれから登場する。 その時、「メス(女性)社会」が「メスらしい(女性らしい)社会」に変貌して、円回帰運動は帰結するのです。 では、メスらしい(女性らしい)“聖職”とは一体どんなものでしょうか。 芸術の世界にそのヒントが隠されています。 女性画家はいない。 女性作曲家はいない。 女性作家や女性作詞家(詩人)はいる。 画家や作曲家は攻撃的であるが、作家や作詞家(詩人)は攻撃的ではなく、受身的であるわけです。 言い換えれば、 画家や作曲家は発明家であるが、作家や作詞家(詩人)は発明家ではなく、発見家であるわけです。 芸術とは創造的であると言われてきましたが、どうやら、芸術にも創造的(攻撃的)なものと、想像的(受身的)なものの二つがあるようです。 オスらしい(男性らしい)“聖職”とは創造的(発明的)な仕事。 メスらしい(女性らしい)“聖職”とは想像的(発見的)な仕事。 と言えるのではないでしょうか。 |