第百二十七話 “地動説”から“自動説”

人類の文明の歴史は古代・中世・近代であり、現代は近代の一部に過ぎません。
これからやって来る“新代”は文明の歴史ではありません。
文明の歴史とは宗教・科学の歴史と言っても過言ではありません。
人類の歴史は支配・被支配二層構造と世襲・相続の差別社会の「オス(男性)社会」の歴史であり、宗教と科学という文明が加担した文明の歴史でもありました。
人類の文明の歴史は差別・不条理・戦争の歴史でもありました。
「オス(男性)」による支配・被支配二層構造と世襲・相続の差別は人間社会にしかありません。
宗教と科学という文明も人間社会にしかありません。
差別・不条理・戦争も人間社会にしかありません。
そして、二十一世紀に入って、地球温暖化といった地球環境問題が人間社会の所為で噴出してきた。
凝りもしない政治家や科学者は、地球温暖化の直接原因である二酸化炭素やメタンガスといった温室効果ガスの削減にはたまた科学を駆使して解決しようとしています。
病気を治すために対症療法や薬の開発に躍起になっている現代対症医療(科学療法)は、病気の根源をますます奥深くに追いやり、不治の慢性病にしてしまっているように、科学を駆使しての解決法は根本原因をますます強くしてしまうことに気がついていない政治家であり、科学者であるのです。
古代・中世では、「天動説」が常識でした。
近代では、ニセモノの「地動説」が常識でした。
こんな対症療法をしてきた張本人が政治家(宗教家)であり科学者であったのです。
これからやって来る“新代”は、「オス(男性)」による支配・被支配二層構造も世襲・相続の差別もない、宗教と科学という文明から脱却した、差別・不条理・戦争のない、まったく「新しい時代」の「新しい社会」です。
そんな「新しい時代」の「新しい社会」が出現しなければ、地球上の全生命体は間違いなく絶滅するでしょう。
古代・中世では、「天動説」が常識でした。
近代では、ニセモノの「地動説」が常識でした。
“新代”では、本物の「地動説」が常識になります。
本物の「地動説」では、わたしたちひとり一人の人間が個人として目覚め、地球と共に自分たちひとり一人が自転している、つまり、自分が『今』という唯一の「時間」と一緒に動いていて、科学者が言うところの「心理的な時間」である『過去・現在・未来』は「動いている(流れている)時間」ではなく、「止まっている光景(空間)」であることが常識なのです。
つまり、自分が動いている「自動説」が“新代”では常識になるのです。