第百二十九話 「全体感」と「部分観」

古代・中世では、「天動説」が常識でした。
「天動説」は「他動説」とも言われているように、宇宙の中心は自分にあり、他のものは周辺にあるという考え方から「他動説」と言われるわけです。
近代(現代)では、ニセモノの「地動説」が常識でした。
地球は自転しながら、太陽の周りを公転しているから「地動説」と言われるわけですが、「地動説」は「自動説」とは言われていません。
地球以外のものを「他」と言っているのに、地球を「自」とは言っていないのです。
近代では、ニセモノの「地動説」が常識でした、と主張する所以がここにあります。
本物の「地動説」とは「自動説」に他ならない理由がここにあります。
地球と自分を別ものと考えているから「地動説」になるわけです。
地球と自分を一つのものだと考えているなら、「地動説」=「自動説」になる筈です。
人間以外の地球上の生き物にとっては、「地動説」=「自動説」です。
つまり、地球と自分の一体感を持っているのです。
これを「全体感」と新田哲学では言っています。
「地動説」=「自動説」にならない近代(現代)人だけが、地球と自分の一体感を持っていません。
これを「部分観」と新田哲学では言っています。
「天動説」=「他動説」が常識だった古代人・中世人は、地球と自分の一体感を持っていたわけです。
近代・現代の申し子である科学が、人間を「全体感」から「部分観」に変節させてしまったのです。
地球温暖化といった地球環境問題を惹き起こした張本人が、近代(現代)社会のわたしたち人間であることは自他ともに認めるところです。
言い換えれば、地球と一体感を持たないで、自分を地球から独立体と考える「部分観」こそが、地球温暖化といった地球環境問題を惹き起こした原因に外ならないのです。
地球温暖化といった地球環境問題を解決するには、わたしたち近代(現代)人が「部分観」から「全体感」に戻ることが先決です。
ところが、わたしたち人間は、はたまた「部分観」の張本人である科学によって解決しようとしている。
まさにイタチごっこの最悪の悪循環に入り、挙句の果てに絶滅です。
古代・中世では、「天動説」=「他動説」が常識でした。
近代では、ニセモノの「地動説」が常識でした。
“新代”では、本物の「地動説」=「自動説」が常識になります。
鍵は、「地動説」=「自動説」、つまり、地球と自分が一つであるとする「全体感」にあります。
新田哲学が主張する、「三つの法則」があります。
(1) 「二元論」
(2) 「全体と部分の相対性の法則」
(3) 「在り方と考え方」
これら三つの法則を一言で言えば、「全体感と部分観」の関係に外ならないのです。
わたしたち人間だけが、「部分観」で生きているから、「死の概念」を持ち、死を怖れ、悩みや四苦八苦を持ち、支配・被支配二層構造の世襲・相続の差別社会を生み、差別・不条理・戦争を繰り返し、挙句の果てに、地球温暖化といった地球環境問題を惹き起こしているのです。