第百三十六話 鑑賞者=本当の自分

「有」の宇宙とは、映像宇宙であり、運動宇宙であり、「誕生」、「生」、「死」という円回帰運動をする宇宙です。
「無」の宇宙とは、実在宇宙であり、静止宇宙であり、「誕生」、「生」、「死」という円回帰運動を終えた(超えた)宇宙です。
鍵は、「誕生」、「生」、「死」という円回帰運動にあります。
言い換えれば、
生まれる前の世界、死んだ後の世界が「無」の実在世界であり、静止世界であり、鑑賞する者の世界です。
生まれてから死ぬまでの間の世界が「有」の映像世界であり、運動世界であり、鑑賞されるものの世界です。
従って、
生・死の問題は、鑑賞する者と鑑賞されるものとの問題であるわけです。
「生」とは、鑑賞されるものの問題、つまり、映画(映像)=ニセモノの自分の問題であります。
「死」とは、鑑賞する者の問題、つまり、本当の自分の問題であります。
“死が実在で、生は死の不在概念”に外ならない。
ところが、わたしたち人間は、“生が実在で、死は生の不在概念”と思い込んでいます。
だから、“生が好くて、死は好くない”ものと思い込んでいるのです。
この錯覚(勘違い)は一重に、鑑賞されるもの、つまり、映画(映像)=ニセモノの自分ばかりに目が行って、鑑賞する者、つまり、本当の自分に目が行ってない結果起こっているのです。
鑑賞されるもの、つまり、映画(映像)=ニセモノの自分を唯一の自分と錯覚(勘違い)し、鑑賞する者、つまり、本当の自分を忘れてしまっているからです。
本当の自分とは、鑑賞されるものではなく、鑑賞する者です。
自分の姿は直接見ることはできないが、他人の姿は直接見ることができることが、本当の自分とは、鑑賞されるものではなく、鑑賞する者である証明です。