第百三十八話 有るものと無いもの

有るものは無い。
無いものは有る。
この訳のわからない話が実は真理なのです。
見えるものはすべて映像だから無い。
見る者が実在だから有る。
だが見る者は自分が見えない。
この訳のわからない話が実は真理なのです。
自分(『今、ここ』の実在=鑑賞する者)は見えないが、他人(過去の映像=鑑賞されるもの)は見えることが、この訳のわからない話が真理である証明です。
見えるものは実在しない、見る者だけが実在する、だが見る者は自分が見えない。
聞こえるものは実在しない、聞く者だけが実在する、だが聞く者は自分が聞こえない。
匂えるものは実在しない、匂う者だけが実在する、だが匂う者は自分を匂えない。
味わえるものは実在しない、味わう者だけが実在する、だが味わう者は自分を味わえない。
触れるものは実在しない、触る者だけが実在する、だが触る者は自分を触れない。
つまり、
五感で感じるものは実在しない、五感(肉体の一部としての五感)だけが実在する、だが五感は自分を感じられない。
つまり、
想い(心・意識)は実在しない、肉体だけが実在する、だが肉体は自分を想えない。
つまり、
考え方は実在しない、在り方だけが実在する、だが在り方は自分を考えられない。
つまり、
部分観は実在しない、全体感だけが実在する、だが全体は自分を部分観できない。
つまり、
二元論は実在しない、一元論(三元論)だけが実在する、だが一元論(三元論)は自分を論じられない。
つまり、
円周は実在しない、始点(終点)だけが実在する、だが始点(終点)は自分を円回帰運動できない。
つまり、
運動は実在しない、静止だけが実在する、だが静止は自分を運動できない。
結局の処、
見えるものは無い、見る者だけが有る、だが見る者は自分が見えない。
詰まる処、
有るものは無い。
無いものは有る。