第百四十話 「時間」と「空間」の正体

『今』が『過去・現在・未来』になると水平時間(実時間)になる。
『今』が『永遠』になると垂直時間(虚時間)になる。
(実)が(虚)であり、(虚)が(実)だった。
『過去・現在・未来』は実は、時間ではなく、光景(空間)ですから、水平時間(実時間)とは実は、空間であるわけです。
実時間は「空間」に外ならない。
虚時間が「時間」に外ならない。
「空間」とは、『過去・現在・未来』という水平的に進退するものだったのです。
「時間」とは、『永遠』という垂直的に上下するものだったのです。
そして、『現在』という「空間」こそが『ここ』であり、『ここ』という「空間」と仮想交差する所が『今』という「時間」だったのです。
つまり、
『今』とは、現在という「空間」、つまり、『ここ』と仮想交差する、『永遠』という「時間」の上下折り返し点であるわけです。
平たく言えば、
「時間」には、上昇する『永遠』と下降する『永遠』とがあり、上下折り返し点が『今』である。
「空間」には、進む『未来』と、退く『過去』とがあり、進退折り返し点が『現在』という『ここ』である。
進む『未来』という「運動空間」と、退く『過去』という「運動空間」の進退折り返し点の「静止空間」が『現在』であり、それを『ここ』と言う。
上る『永遠』という「運動時間」と、下る『永遠』という「運動時間」の上下折り返し点の「静止時間」を『今』と言う。
わたしたち人間が、思い込んできた「時間」と「空間」の概念とまるで違った「時間」と「空間」が展開されるわけです。
「時間」にも「静止時間」と「運動時間」があり、「静止時間」が『今』であり、「運動時間」が『永遠』である。
「空間」にも「静止空間」と「運動空間」があり、「静止空間」が『現在』という『ここ』であり、「運動空間」が『過去』と『未来』である。
では、『永遠』という「運動時間」の、上る『永遠』と下る『永遠』とは一体何か。
「誕生」、「生」、「死」という円回帰運動こそ、『今』という「静止時間」と『永遠』という「運動時間」に外なりません。
つまり、
『今』という「静止時間」が「誕生」という始点であり、「死」という終点であり、『永遠』という「運動時間」が「生」という円周であるわけです。
つまり、
『過去・現在・未来』こそが「空間」の正体であったわけです。
『誕生・生・死』という円回帰運動こそが「時間」の正体であったわけです。
従って、
『生』とは、『過去の生』か『未来の生』という映像の運動時空間であり、『誕生』・『死』という実在する静止時空間は、『現在の誕生』か『現在の死』だけであり、既に誕生した者にとって残されているものは、『現在の死』のみであり、それが『今、ここ』であります。
『今、ここ』=『現在の死』ということになります。