第百四十二話 死からの解放=高度自由

「新代」には、『死』の問題から解放される「高度自由社会」がやって来る。
その為には、『死』という問題を十分理解しておく必要があります。
わたしたち人間は、『死』の問題を生・死二元で考えていますが、実は、「誕生」・「生」・「死」三元で考えなければなりません。
つまり、「誕生」、「生」、「死」という円回帰運動で考えなければ、『死』という問題も十分理解できないのです。
たとえば、わたしたち人間社会では、「殺す」・「殺される」という問題があって、「殺す」ことは好くないことだと思われていますが、自然社会では、「殺す」・「殺される」という問題などなく、「食う」・「食われる」という問題があるだけです。
ライオンはシマウマを「殺す」という了見はなく、ただ「食う」だけで、そこに罪意識など一切ないし、「食われる」シマウマも、「殺される」という了見はなく、ライオンに対する罰意識など一切ありません。
わたしたち人間でも、他の動物や植物を「食う」わけですが、そこには、罪意識も罰意識も一切ありません。
『死』という問題と「殺す」・「殺される」という問題はまったく関係なく、罪意識も罰意識もない、つまり、「好い悪い」ではないのが『死』なのです。
ところが、わたしたち人間は、『死』は好くない問題と捉えています。
わたしたち人間が、『死』という問題を十分理解していない証明です。
「誕生」、「生」、「死」という円回帰運動は、形が変わるだけの相転移現象に過ぎず、『死』も相転移の一現象に外なりません。
摂氏100度以上のH2O という分子化合物は水蒸気になり、摂氏100度と0度の間のH2O という分子化合物は水になり、摂氏0度以下のH2O という分子化合物は氷になるように、形態が水蒸気や水や氷と一見違っていても実相は同じH2O という分子化合物なのであり、単に位相の変化、つまり、相転移現象に過ぎないわけで、誕生して生きそしてやがて死ぬことも所詮は位相の変化に過ぎず実相は何も変わらないことを示唆しています。
更に、摂氏100度以上の水蒸気は常に上昇(運動)し、摂氏100度と0度の間の水は常に下降(運動)し、摂氏0度以下の氷は常に固まっている(静止している)。
第百四十話【「時間」と「空間」の正体】でお話しました。
『永遠』という「運動時間」の、上る『永遠』と下る『永遠』とは一体何か。
「誕生」、「生」、「死」という円回帰運動こそ、『今』という「静止時間」と『永遠』という「運動時間」に外ならない。
つまり、
『今』という「静止時間」が「誕生」という始点であり、「死」という終点であり、『永遠』という「運動時間」が「生」という円周である。
H2O という分子化合物にとって、摂氏0度以下の常に固まっている(静止している)氷の状態が「死」であって、摂氏100度以上の常に上昇(運動)している水蒸気の状態が上る『永遠』の「生」であって、摂氏100度と0度の間の常に下降(運動)する水の状態が下る『永遠』の「生」なのです。
摂氏100度以上の常に上昇(運動)している水蒸気の状態や、摂氏100度と0度の間の常に下降(運動)する水の状態が、“好く”て、摂氏0度以下の常に固まっている(静止している)氷の状態が“好くない(悪い)”などと言えるわけがない。
ところが、わたしたち人間は勝手な言葉を造って、“生が好くて、死が悪い”などと思い込んでいるのです。
『死』とは現在、つまり、現に在るものです。
『生』とは過去、つまり、過ぎ去った映像、若しくは、未来、つまり、未だ来ぬ映像です。
現に在るものに対してどうするか、それが問題解決の第一歩です。