第百四十五話 静止と運動と静止/運動

『今』=「静止時間」
『ここ』=「静止空間」
『今、ここ』=「静止時空間」
実在の宇宙は唯一『今、ここ』という「静止時空間」にあります。
『現在』=「運動時間」
『現在』=「運動空間」
『現在』=「運動時空間」
映像の宇宙は『現在』という「運動時空間」にあります。
更に、
『現在』という「運動空間」は、進む『未来』と退く『過去』という「運動空間」に繋がっている。
このことは一体何を意味しているのでしょうか。
地球上に存在しているわたしたち人間は、(直)線を描くことは絶対に不可能です。
(直)線を描いているつもりでも、それは所詮、円の一部なのです。
何故なら、地球は球体(円)なのですから。
数学にユークリッド幾何学というものがありますが、この学問は、地球を平面と仮定しての学問、つまり、実在ではなく、映像の学問です。
三角形の内角の和=180度
これは、地球が平面、つまり、「ユークリッド空間」という映像の前提で成立しているもので、実体は地球は球面、つまり、「リーマン空間」ですから、
三角形の内角の和 > 180度なのです。
『今』という名の「時間」の汽車に乗って人生の旅をしている自分が、窓外の『過去・現在・未来』という「光景(空間)」を見ている。
『過去・現在・未来』という光景(空間)は線的拡がりに見える、つまり、『過去』から『現在』を経由して『未来』への一方通行のように見えますが、実は4万キロメートルの旅をしたら元の場所に戻ります。
つまり、『未来』が『過去』になります。
理由は、地球が円周4万キロメートルの球体だからです。
つまり、
『過去・現在・未来』という「空間」は、水平展開(線的拡がり)、つまり、線運動ではなく、垂直展開(円的拡がり)、つまり、『誕生・生・死』という円回帰運動をしていたのです。
『過去』=『誕生(始点)』
『現在』=『生(円周)』
『未来』=『死(終点)』
更に、
『現在』という「運動時間」は、上る『永遠』と下る『永遠』という「運動時間」に繋がっている。
つまり、
『時間』も、水平展開(線的拡がり)、つまり、線運動ではなく、垂直展開(円的拡がり)、つまり、『誕生・生・死』という円回帰運動をしていたのです。
『誕生』・『死』という「時間」は「静止時間」であるわけですから、『今』に外ならない。
『生』という「時間」は「運動時間」であるわけですから、上る『永遠』・下る『永遠』に外ならない。
つまり、
『今』=『誕生(始点)』
上る『永遠』/下る『永遠』=『生(円周)』
『今』=『死(終点)』
ということになります。
円(回帰)運動は永遠(円周)運動である所以です。
結局の処、
「時間」とは、『誕生=始点=『今』』という「静止時間」から始まり、『生=円周=上る『永遠』という半円と下る『永遠』という半円』という「運動時間」を経由して、『死=終点=『今』』という「静止時間」に円回帰する、「静止時間」/「運動時間」という二つの「時間」であったのです。
「空間」とは、『誕生=始点=過去(一番遠く退く過去)』という「静止空間」から始まり、『生=円周=『現在』(退く『過去』という半円と進む『未来』という半円)』という「運動空間」を経由して、『死=終点=未来(一番遠く進む未来)』という「静止空間」に円回帰する、「静止空間」/「運動空間」という二つの「空間」であったのです。
「空間」、「時間」、「時空間」とは「静止」、「運動」、「静止・運動」であり、「絶対」、「相対」、「絶対・相対」であり、「一元」、「二元」、「三元」であったのです。
「超」の世界とは、「時空間」、「静止・運動」、「絶対・相対」、「三元」であったのです。
「時間」の世界、「運動」の世界、「相対」の世界、「二元」の世界を常識にしてきたのが、二十世紀までのわたしたち人間でした。
結果、地球温暖化といった地球環境問題を惹き起こしてしまい、全生命体絶滅の危機に直面しています。
この危機を解決するには、「時空間」の世界、「静止・運動」の世界、「絶対・相対」の世界、「三元」の世界、つまり、「超」の世界を常識にしなければならないのです。