第百五十四話 「文明」こそが元凶

有るものは無い。
無いものは有る。
実在しない映像を追い掛けて、実在から逃げようとしているわたしたち人間にとって、まさに、この言葉が真理であります。
「生(実在しない映像)」を追い掛けて、「死(実在)」から逃げようとしている。
「健康(実在しない映像)」を追い掛けて、「病気(実在)」から逃げようとしている。
「お金持ち(実在しない映像)」を追い掛けて、「貧乏(実在)」から逃げようとしている。
「幸福(実在しない映像)」を追い掛けて、「不幸(実在)」から逃げようとしている。
「天国(実在しない映像)」を追い掛けて、「地獄(実在)」から逃げようとしている。
「神(実在しない映像)」を追い掛けて、「悪魔(実在)」から逃げようとしている。
「支配者(実在しない映像)」を追い掛けて、「被支配者(実在)」から逃げようとしている。
「光(実在しない映像)」を追い掛けて、「暗闇(実在)」から逃げようとしている。
「死」・「病気」・「貧乏」・「不幸」・「地獄」・「悪魔」・「被支配者(奴隷・一般大衆・国民)」・「暗闇」=実在
「生」・「健康」・「お金持ち」・「幸福」・「天国」・「神」・「支配者(王様・貴族・僧侶・政治家・役人)」・「光」=実在しない映像
確かにわたしたち人間は、「生」・「健康」・「お金持ち」・「幸福」・「天国」・「神」・「支配者(王様・貴族・僧侶)」・「光」を好いものと思い込み、「死」・「病気」・「貧乏」・「不幸」・「地獄」・「悪魔」・「被支配者(奴隷・一般大衆・国民)」・「暗闇」を好くないものと思い込んで生きてきました。
だけど、「健康」なんて何処にもなく、「健康」は「病気のない状態」に過ぎないことも、わたしたち人間は重々承知しています。
つまり、「病気」が実在で、「健康」は「病気のない状態(不在概念)」、つまり、実在しない映像であることを重々承知しているのです。
「死」が実在で、「生」は「死のない状態(不在概念)」、つまり、実在しない映像であることを重々承知しているのです。
「貧乏」が実在で、「お金持ち」は「貧乏のない状態(不在概念)」、つまり、実在しない映像であることを重々承知しているのです。
「不幸」が実在で、「幸福」は「不幸のない状態(不在概念)」、つまり、実在しない映像であることを重々承知しているのです。
「地獄」が実在で、「天国」は「地獄のない状態(不在概念)」、つまり、実在しない映像であることを重々承知しているのです。
「悪魔」が実在で、「神」は「悪魔のない状態(不在概念)」、つまり、実在しない映像であることを重々承知しているのです。
「被支配者(奴隷・一般大衆・国民)」が実在で、「支配者(王様・貴族・僧侶・政治家・役人)」は「被支配者(奴隷・一般大衆・国民)のない状態(不在概念)」、つまり、実在しない映像であることを重々承知しているのです。
何故、何時から、何処から、わたしたち人間はこんな勘違いをして生きてきたのでしょうか。
言葉が誕生した時からであることは間違いない。
実在するものを悪いイメージの言葉にして、実在しない映像のものを好いイメージの言葉に摺り替えてしまった連中がいたのです。
「聖書」もその典型です。
世にある「聖典」と称せられるものはすべて張本人であります。
文字の誕生は、今から1万数千年前だと言われていますが、話し言葉は更に遡る筈ですが、さほど差はないようです。
日本でも紀元6世紀に漢字が伝来して、はじめて平仮名・片仮名がつくられて、文字文化が始まった。
従って、わたしたち人間の致命的な勘違いは、1万数千年前から始まったエジプト文明、メソポタミア文明、インダス文明、中国文明という古代文明が元凶であることは間違いないでしょう。
やはり、「文明」が元凶だったのです。
やはり、「宗教・科学」が元凶だったのです。