第百五十七話 不完全な生きもの・人間

地球上の生きものは、すべて『今』という名の「時間」の汽車・地球号に乗って一生の旅をしているわけですから、地球固有の『今』という「時間」を体内時計として持っています。
彼らの体内時計は完全な地球時計であるのに対して、わたしたち人間の時計は微妙なズレがあります。
わたしたち人間も体内時計を持っており、それは他の生きもの同様、完全な地球時計なのですが、残念ながら忘れてしまい、グリニッジ時(世界時)を人間社会の時計にしてしまった。
グリニッジ時(世界時)は平均太陽時で真夜中を零時にした時計ですから、近似時計と言っても過言ではなく、完全な地球時計(体内時計)とは微妙なズレがあります。
科学が生み出したものは、完全なものはなく、すべて不完全(近似)なものなのに、それを、恰も完全なもののように思い込んでいる。
わたしたち人間だけが錯覚(勘違い)の生きものである根拠がここにあります。
自然(地球)と一体感(全体感)で生きているものはすべて完全無欠のものであるのに、自然(地球)に対して孤絶観(部分観)で生きているわたしたち人間だけが不完全な生きものなのです。
その際たるものが、「時間」と「空間」の問題です。
「リーマン空間(球体)」が完全であるのに、「ユークリッド空間(平面)」という不完全(近似)なものを常識にして生きている。
つまり、三角形の内角の和=180°という不完全(近似)なものを常識にして生きているが、完全な三角形の内角の和>180°なのです。
「時間」も「空間」も不完全(近似)なものを常識にした不完全(近似)な生きものが、わたしたち人間なのです。
だから、実は自分自身が『今』という名の「時間」の汽車・地球号と一緒に動いているのに、窓のカーテンを開けたため、『過去・現在・未来』という静止した光景(空間)を運動している時間と錯覚する羽目に陥ったのです。
地球と一緒に自分が動いているのに、「地動説」を当たり前としておきながら、自分は静止していて、天が運動している「天動説」を今でも実感しているのは、不完全(近似)なものを常識にして生きているからです。