第百六十話 どぶねずみの発想

“自分さえ好かったら善い”
現代社会、特に、先進社会に生きている人間は、この考え方を至極当然のように思い込んでいます。
“自分さえ好かったら善い”
これは自分勝手な判断であって、自分勝手な判断をするということは、善悪の判断をし、自分にとって都合の善い方を善として取り、都合の悪い方を悪として捨てる、つまり、好いとこ取りをしていることに外ならないのです。
従って、
“自分さえ好かったら善い”は“他者さえ好くなかったら善い”ことと同じなのです。
“自分さえ好かったら善い”という考え方の背景には他者の不幸を求めている自分がいるのです。
自分が幸福になることは、他者が不幸になること。
他者が幸福になることは、自分が不幸になること。
自分と他者は二律背反関係にある。
新田哲学で言う、好いとこ取りの相対一元論に外なりません。
自分と他者は一枚のコインの裏表である、つまり、補完関係にあるのに、表の自分は善として、裏の他者は悪として、表だけを取り、裏を捨てようとするのが、二律背反関係、つまり、好いとこ取りの相対一元論に外なりません。
この考え方は実現不可能な話です。
表の善を取ったら、裏の悪も取らざるを得なくなる。
裏の悪を捨てたら、表の善も捨てざるを得なくなる。
一枚のコインの裏表は補完関係にあるのが本質なのです。
「二元論」の本質は補完関係であって、二律背反関係ではないのです。
それを、現代社会のわたしたち人間は、“自分さえ好かったら善い”という好いとこ取りの相対一元論に嵌り込んでいるのです。
その裏では、
他者の不幸を求めている自分がいることに気づいていないのです。
他者の不幸を求めたら、自分も不幸になることに気づいていないのです。
“自分さえ好かったら善い”考え方は自分を不幸にする考え方に外ならないのです。
暴走するどぶねずみの発想なのです。
彼らを待ち受けているのは、断崖絶壁からまっさかさまだけです。