第百六十四話 畜生以下の生きもの・どぶねずみ人間

唯一知性を持っている生きもの・人間と、知性を持っていない他の生きものとの違いは、意識して生きているか、意識しないで生きているかの違いに外なりません。
善悪の判断をしない他の生きものは、意識しないで生きているのに対して、善悪の判断をする知恵の木の果実を食べるとは、意識して生きることに外なりません。
判断をする、つまり、考えるということは、意識して生きることに外ならないのです。
ところがイエス・キリストの2000年前から現在に至るまで、一般大衆、つまり、どぶねずみ人間たちは無意識で生きてきたわけです。
自覚症状の無い音痴のままで生きてきたわけです。
更にもっとタチの悪いのは、ロボット化した現代社会の大半の人間でしょう。
“自分さえ好かったら善い”、だけど、“みんなで渡れば怖くない”
自己矛盾甚だしいこの二つの考え方を当たり前のように錯覚(勘違い)している彼らこそ、まさに無意識で生きている最も罪深い人間であります。
ロボットのような運転マナーになり下がった大半の日本人は、無意識どぶねずみ人間です。
彼らは考えているようで、一切考えていないのです。
新田哲学では、本当に考えるということを“脳みそに汗をかかせる”と言っています。
現代日本社会の大半の人間は、“脳みそに汗をかかせる”能力を失ってしまったわけです。
知性を持つとは、考える能力を持つことであり、脳みそに汗をかかせる能力なのですから、現代日本社会の大半の人間は、唯一知性ある生きものではなく、知性の無い、無意識で生きている他の生きものと同じなのです。
更にタチの悪い自覚症状の無い音痴ときている。
他の生きものたちは自覚症状の有る音痴だけにまだマシです。
自覚症状の無い音痴こそ、畜生以下の餓鬼畜生である所以です。