第百六十六話 人間の存在理由

暴力団のような世間の吹き溜り的存在の人間は昔もいたが、それは所詮、世間の吹き溜り、つまり、ごく僅かな数しかいなかった。
彼らこそ、“お金がすべてだ!”、“お金儲けのどこが悪い!”と嘯いている疾しい世間の吹き溜り的存在であった。
ところが、現代日本社会は老若男女、小学校のガキまでが、“お金がすべてだ!”、“お金儲けのどこが悪い!”と喚いている。
一億総暴力団社会。
これが現代日本社会の実態です。
“わたしたちヤクザ者は世間の爪弾き者でやす、世間から隠れてひっそりと暮らさなければならねえ肩身のせまい身上なんでやす”
嘗てのヤクザは「侠客」と呼ばれ、弱い人たちを守る「任侠の人」でしたが、暴力団に成り下がったのは、“お金がすべてだ!”、“お金儲けのどこが悪い!”と喚き散らすようになってからです。
「侠客」、「任侠の人」の自覚症状がなくなったのを「暴力団」と言うのです。
まさに、現代日本人の大半は暴力団化しているのです。
嘗てのヤクザ、「侠客」、「任侠の人」は、自分たちは肩身の狭い人間、つまり、不利益を蒙る類の人種だということを自覚していたし、また、世間一般の人間も、彼らが強い人間、つまり、侍から自分たちを守ってくれることをわかっていたが、やはり、所詮は世間の吹き溜り的存在の人間であることを知っていて、自分たちとは一線を画していた。
それは、彼らは所詮不利な人間だったからです。
不利な点とは一体何だったのでしょうか。
悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖の一生を生きて行かなければならないことが不利点だったのです。
世間の吹き溜り的存在の人間だからこそ、悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖の一生を生きて行かなければならなかったのです。
ところが今や、65億全人類が悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖の一生を生きているのです。
わたしたち人間の存在理由において、何か間違っている点がある。
世間の吹き溜り的存在の人間でない限り、悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖の一生を生きて行かなければならないという不利点を蒙るわけがない。
逆に言えば、
悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖の一生を送っているような人間こそが、世間の吹き溜り的存在の人間である証明なのです。
わたしたち人間の存在理由における間違っている点とはこのことであるのです。