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第百六十七話 気づきの差 わたしたちは生きることがそもそも四苦八苦であると思い込んできました。 四苦八苦の四苦とは「生老病死」、つまり、生きる苦、老いる苦、病む苦、死の苦であり、まさに生きることによって生じる苦だと仏教では言っているわけです。 だが、自然界に生きる他の生きものを観察してみると、彼らにはおよそ生きる苦など微塵たりとも感じられません。 ただただ淡々と『今、ここ』を生き切っていて、生きる時には生き、死ぬ時には死ぬ生き方をしています。 わたしたち人間だけが、生きる苦を背負って生き、挙句の果てに、生きている最後にやって来る死に怯えながら生きている。 その原因が、「死の概念」を持った、つまり、“自分も必ずいつか死ぬ”ということを知ったことにあるわけです。 それならいっそ他の生きものと同じように、「死の概念」など持たずに生きる方がずっとましです。 お釈迦さんですら28歳まで他の生きものと同じように、「死の概念」を持たずに生きていたから、美しい女性に囲まれたハーレム生活に何の矛盾も感じずに生きていた。 ところが偶然に“自分も必ずいつか死ぬ”ことを知ったお釈迦さんは、大衝撃を受けて、それまでの生活をすべて捨てて苦行の旅に出た。 「死の概念」を持った、つまり、“自分も必ずいつか死ぬ”ことを知ったことが、彼の人生の大転換期のきっかけになったのです。 わたしたちひとり一人の人間にとっても、「死の概念」を持つ、つまり、“自分も必ずいつか死ぬ”ことを知った時が、実は人生の大転換期であったのです。 お釈迦さんは大転換期をきっかけで人生の真理を知ったのに、わたしたち凡夫は大転換期をきっかけで四苦八苦の人生を生きる羽目に陥った。 この違いは一体どこにあるのでしょうか。 お釈迦さんは、大転換期に気づいた。 わたしたち凡夫は、大転換期に気づかなかった。 ただそれだけの違いで、その後の人生に月とすっぽんほどの差が生じたのです。 それほどに、人生の大転換期に気づくことが重要なのです。 お釈迦さんは、28歳まで死ぬことを知らなかった。 わたしたち凡夫は、もっと早い時期に死ぬことを知った筈なのに、その大転換期に気づかず、ぼっと生きてきたために、悩みや四苦八苦、挙句の果てに、死の恐怖の人生を送っている。 この違いは一重に気づきの差であります。 人間の存在理由の気づきの差であります。 |