第百六十八話 マヤカシの正体

生きることは四苦八苦することで、しかも、最後に死の恐怖が待ち受けている。
そんな人生なら、誰でも刹那的な生き方しかできません。
“せめてこの瞬間だけでも楽しもう・・・何故ならいつ四苦八苦が襲ってくるかも知れないのだから・・・”
“老い、病気になり、そして、死ぬ、生きることなど苦以外のなにものでもなく、そんな人生なんて一体何の意味があるのか・・・、それなら、死んだ後の人生に望みを掛けるしかないではないか・・・”
生きる苦、老いる苦、病む苦、死ぬ苦の生老病死の四苦。
愛する人と別れる苦(愛別離苦)、憎い人と出会う苦(怨憎会苦)、求めても得られない苦(求不得苦)、他人の存在を気にする苦(五陰盛苦)の四苦。
わたしたちの人生は、たしかに、こういった自分の思い通りにならないことばかりです。
まさしく、生きることは四苦八苦することで、しかも、最後に死の恐怖が待ち受けている。
“だから、望みを持つことをするな!”
“望みを持つこと自体が苦なのだ!”
“欲望(煩悩)こそが苦の原因なのだ!”
仏教はそう教えます。
挙句の果てに、
“真面目に煩悩を絶った人生を送ったら、死んだ後の世界、つまり、あの世で天国に行くことができ、今度生まれ変わったら幸福な人生を送られるようになる!”
こういった輪廻転生説がまことしやかに信じられている。
しかし、四苦八苦など無縁の一生を送っている自然社会の他の生きものにも、食欲・性欲といった本能的欲望はあります。
わたしたち人間だけにある、物質欲、金銭欲、権力欲、名誉欲といった欲望(煩悩)も、突き詰めてみれば、食欲・性欲といった本能欲に起因していることがわかります。
“英雄色を好む”
まさに、権力欲・名誉欲が性欲に繋がっていることを証明する諺です。
そうしますと、仏教の教えに疑問が湧いてきます。
“欲望(煩悩)こそが苦の原因なのだ!”
この考え方はどうやらマヤカシのようである。
一体どこがマヤカシなのか。
わたしたち人間の存在理由において、何か間違っている点がある。
世間の吹き溜り的存在の人間でない限り、悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖の一生を生きて行かなければならないという不利点を蒙るわけがない。
逆に言えば、
悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖の一生を送っているような人間こそが、世間の吹き溜り的存在の人間である証明なのです。
わたしたち人間の存在理由における間違っている点とはこのことであるのです。
マヤカシの正体がここにあるのです。