第百七十二話 「本当の人間」と「どぶねずみ人間」の差

知性を持つということは、意識して生きるということに外ならない。
意識して生きるということは、死を意識して生きるということに外ならない。
人間は、知性を持ち、意識して生き、死を意識して生きる生きものに外ならない。
知性を持たないということは、無意識で生きるということに外ならない。
無意識で生きるということは、死を意識しないで生きるということに外ならない。
他の生きものは、知性を持たず、無意識で生き、死を意識しないで生きる生きものに外ならない。
わたしたち人間と他の生きものの決定的な違いはこの点にあります。
この違いの結果、
わたしたち人間は、悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖の一生を送る。
他の生きものは、悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖と無縁の一生を送る。
これはどう考えても道理に合わない。
理由は、人間の存在理由において間違った点があるからです。
理由は、本当の人間ではなく、間違った人間がいるからです。
理由は、知性を持つが、意識して生きていない、死を意識して生きていない、間違った人間がいるからです。
知性を持つということは、「死の概念」を持つということ、つまり、“自分もいつか必ず死ぬ”ということを知ったことに外ならないのですから、死を意識するのは当然です。
ところが、死を意識しようとしない。
死を考えることを避けて生きようとする。
何故なら、死を好くないことと思い込んでいるからです。
結局の処、
人間の存在理由において間違った点とは、間違った人間とは、死を好くないと錯覚(勘違い)していることに外ならないのです。
結局の処、
人間の存在理由とは、本当の人間とは、死を知ることを好いことだと理解していることに外ならないのです。
錯覚している人間がどぶねずみ人間です。
理解している人間が本当の人間です。
その差は気づきの差です。