第百七十四話 中途半端な有知

知性とは知る能力のことであり、死を知る能力のことであります。
人間の存在理由とは死を知ることにあります。
ところが、わたしたち人間は死を知ることにより、死を怖れるようになり、更に、死を怖れるあまり、生きる苦、つまり、四苦八苦を覚えるようになった。
死を知ることで、死を怖れる。
死を怖れることで、生が苦になる。
知ることが悪循環の元凶になっているわけです。
それならいっそ、他の生きもののように、死を知らなければよかった。
恐怖の本質は無知にあると以前にお話しました。
有知になれば、恐怖は消えてしまうのが、恐怖の本質です。
他の生きものが持つ「食われる恐怖」、つまり、「死の観念」とは無知から来る恐怖です。
わたしたち人間が持つ「死の概念」とは有知から来る恐怖です。
これは道理に合いません。
理由は、「死の概念」が道理に合わないからです。
つまり、「死の概念」が中途半端な有知だからです。
“自分も必ずいつか死ぬ”という「死の概念」が中途半端な有知だからです。
“必ず”は有知でありながら、“いつか”は無知という中途半端な有知だからです。
“自分も必ずいついつに死ぬ”という「死の理解」に至れば、中途半端な有知から完全な有知になり恐怖は消滅してしまうのです。
無知から来る恐怖。
一元論的生き方です。
中途半端な有知から来る恐怖。
二元論的生き方、つまり、好いとこ取りの相対一元論、つまり、中途半端な二元論的生き方です。
有知から来る無恐怖。
三元論的生き方、つまり、本来の二元論的生き方、つまり、完全な二元論的生き方です。
生と死を二律背反要因(対立要因)と捉えるか、補完要因と捉えるか。
二元論的生き方と三元論的生き方の違いはここにあります。
“自分も必ずいつか死ぬ”という中途半端な有知(無知)から、“自分も必ずいついつに死ぬ”という完全な有知になるしか道はないのです。
そうなってはじめて、死を知ることを好いことと理解できるのです。