第百八十一話 錯覚の元凶

わたしたち人間だけに、悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖の一生があるのは、宗教が主張する煩悩(欲望)の所為では断じてなく、自分たちの長い間の錯覚に原因があったのです。
現に、科学が発達した現代社会でも、“健康が好くて、病気が好くない”と思い込んでいます。
健康は病気のない状態に過ぎない、つまり、不在概念という実在しない、単なる考えに過ぎないものを追い掛けて、そして、病む苦をしている。
これほどの錯覚はない。
錯覚による苦をしている。
生・老・病・死・愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五陰盛苦の四苦八苦など、死ねば雲散霧消する、生きている間だけの苦である。
その「生」こそ、死の不在概念に過ぎないのです。
実在するのは「死」であり、「生」は実在しない、単なる、不在概念という考え方に過ぎないのです。
実在するのは「死(静止)」であり、「生(運動)」は実在しない、単なる、不在概念という考え方(映像)に過ぎないのです。
四苦八苦など、所詮、映像(映画)を観て一喜一憂する他愛もない幻想に過ぎないのです。
映画が終われば、そんな一喜一憂(四苦八苦)など雲散霧消してしまう他愛もない幻想に過ぎないのです。
生きているということは、映画鑑賞していることに外ならず、映画鑑賞が終われば、自分の家に戻る。
死ぬということは、自分の家に戻ることであり、自分の家とは母なる大地・地球であり、大地に吸収されるだけです。
H2O という分子化合物が0℃と100℃の間では水となり、100℃以上になると水蒸気となり、0℃以下になると氷となっていくように、わたしたち人間の肉体も水となり、水蒸気になり、やがて、氷となっていくのが死なのです。
水や水蒸気といった運動状態の中での四苦八苦に過ぎないのです。
氷といった静止状態の中では四苦八苦などありえないのです。
悩みや四苦八苦は、運動状態(「生」)ゆえの現象(映像)なのです。
悩みや四苦八苦は、静止状態(「死」)では消える現象(映像)なのです。
悩みや四苦八苦は、煩悩(欲望)が原因では断じてなく、錯覚が原因なのです。
“健康が好くて、病気が好くない”という錯覚が原因なのです。
“生が好くて、死が好くない”という錯覚が原因なのです。
“オスが好くて、メスが好くない”という錯覚が原因なのです。
“強が好くて、弱が好くない”という錯覚が原因なのです。
“賢が好くて、愚が好くない”という錯覚が原因なのです。
“富が好くて、貧が好くない”という錯覚が原因なのです。
“幸福が好くて、不幸が好くない”という錯覚が原因なのです。
“天国が好くて、地獄が好くない”という錯覚が原因なのです。
“神が好くて、悪魔が好くない”という錯覚が原因なのです。
“支配者が好くて、被支配者が好くない”という錯覚が原因なのです。
“光が好くて、闇が好くない”という錯覚が原因なのです。
結局の処、
宗教・科学が錯覚の元凶なのです。