第百八十三話 「新」とは「超」

二十一世紀に目差すべき「新しい人間」は「超人間」のことです。
「新人類」とは「超人類」のことです。
「新しい」ということは「超えた」ということに外なりません。
悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖を超えた一生を送ることができる「新しい人間」のことを「新人類(超人類)」と言うのです。
「新人類(超人類)」の条件は、「死の理解」に至った人間です。
「新人類(超人類)」の条件は、死を知ることを好いことと理解するに至った人間です。
他の生きものが持っている“食われる恐怖”の「死の観念」も、どぶねずみ人間が持っている“自分も必ずいつか死ぬ”という「死の概念」も超えた、“自分も必ずいついつに死ぬ”という「死の理解」を持った本当の人間を「新人類(超人類)」と呼ぶのです。
“自分も必ずいついつに死ぬ”という「死の理解」を持った「新人類(超人類)」は、否応なしに、死を知ることを好いことと理解できるのです。
頭(知識)だけではなく、体(体験)でも、死を知ることを好いことと理解できるのです。
どぶねずみ人間は、体験していないことは体で理解できません。
“自分も必ずいついつに死ぬ”という「死の理解」を持った「新人類(超人類)」は、体験していないことでも体で理解できます。
つまり、究極の未だ来ぬ未来である「死」を体で理解できるのですから、体験していないことでも体で理解できるのは当然です。
そうしますと、『過去・現在・未来』に思いを馳せることなど如何に無意味であるかを、体で理解でき、『今、ここ』を生き切るようになります。
他の生きものが『今、ここ』を生き切っているのは、『過去・現在・未来』に思いを馳せることを知らないからです。
「新人類(超人類)」が『今、ここ』を生き切っているのは、『過去・現在・未来』に思いを馳せることを超えたからです。
『過去』=『現在』=『未来』であることを理解したからです。
「時間」を超えたからです。