第百九十三話 「時間」を超える

わたしたち人間は、どんな出来事(事象)でも、「是否論」=「有論」、つまり、“好い悪い”で考えます。
言い換えれば、
わたしたち人間は、どんな出来事(事象)でも、“好い悪い”の判断をして、“悪い”ことをやっている。
他の生きものたちは、どんな出来事(事象)でも、「無論」、つまり、“好い悪い”の無い、在りのままを受け入れます。
言い換えれば、
他の生きものたちは、どんな出来事(事象)でも、“好い悪い”の判断をせず、“悪い”ことをやっている。
一方、
「新しい人間(超人類)」は、どんな出来事(事象)でも、「超論」、つまり、“好い悪い”を超えて考えます。
言い換えれば、
「新しい人間(超人類)」は、どんな出来事(事象)でも、“好い悪い”を超えた判断をして、“好い悪い”を超えたことをする。
「無論」=一元論
「是否論」=「有論」=二元論
「超論」=三元論
「無」=一
「有」=二
「超」=三
に、“好い悪い”を超えた判断をして、“好い悪い”を超えたことをするためのヒントが隠されているのです。
どんな出来事(事象)でも、“好い悪い”の判断をして、“悪い”ことをやっているのが、わたしたち人間。
つまり、
“善が好くて、悪が悪い”と判断して、「悪」になるのが、わたしたち人間。
どんな出来事(事象)でも、“好い悪い”の判断をせず、“悪い”ことをやっているのが、他の生きもの。
つまり、
“善が好くて、悪が悪い”と判断しないで、「悪」になるのが、他の生きもの。
どんな出来事(事象)でも、“好い悪い”を超えた判断をして、“好い悪い”を超えたことをするのが、「新しい人間(超人類)」。
つまり、
“善が好くて、悪が悪い”という判断を超えて、「善・悪」を超えるのが、「新しい人間(超人類)」。
“生が好くて、死が悪い”という判断を超えて、「生・死」を超えるのが、「新しい人間(超人類)」。
“オスが好くて、メスが悪い”という判断を超えて、「オス・メス」を超えるのが、「新しい人間(超人類)」。
“強が好くて、弱が悪い”という判断を超えて、「強・弱」を超えるのが、「新しい人間(超人類)」。
“賢が好くて、愚が悪い”という判断を超えて、「賢・愚」を超えるのが、「新しい人間(超人類)」。
“富が好くて、貧が悪い”という判断を超えて、「貧・富」を超えるのが、「新しい人間(超人類)」。
“幸福が好くて、不幸が悪い”という判断を超えて、「幸・不幸」を超えるのが、「新しい人間(超人類)」。
“天国が好くて、地獄が悪い”という判断を超えて、「天国・地獄」を超えるのが、「新しい人間(超人類)」。
“神が好くて、悪魔が悪い”という判断を超えて、「神・悪魔」を超えるのが、「新しい人間(超人類)」。
“健康が好くて、病気が悪い”という判断を超えて、「健康・病気」を超えるのが、「新しい人間(超人類)」。
“支配者が好くて、被支配者(奴隷)が悪い”という判断を超えて、「支配者・被支配者(奴隷)」を超えるのが、「新しい人間(超人類)」。
そして、究極の問題である、
“光が好くて、暗闇が悪い”という判断を超えて、「光・暗闇」を超えるのが、「新しい人間(超人類)」。
「光・暗闇」を超えるとは、「時間」を超えることに外なりません。
「新しい人間(超人類)」とは「時間」を超えた人間に外なりません。