第百九十四話 実在世界 & 映像世界 & 現実世界

「新しい人間(超人類)」とは「時間」を超えた人間のことです。
「時間」を超えるとは、“光が好くて、暗闇が悪い”という判断を超えて、「光・暗闇」を超えることです。
「絶対静止世界(一元世界)」も「相対運動世界(二元世界)」も超えた、「絶対静止・相対運動世界(三元世界)」が「時間」を超えた世界に外なりません。
それが「超世界」であります。
「無論」=一元論
「是否論」=「有論」=二元論
「超論」=三元論
「無」=一=「絶対静止世界(一元世界)」=「無世界」=実在世界
「有」=二=「相対運動世界(二元世界)」=「有世界」=映像世界
「超」=三=「絶対静止・相対運動世界(三元世界)」=「超世界」=現実世界
実在世界とは自分の世界(内界=内なる世界)です。
『今(地球号)』という名の「時間」の汽車に乗って人生という旅をしている自分の世界です。
人生劇場の4階から観える「自分」が演技している実舞台です。
映像世界とは他人の世界(外界=外の世界)です。
『今(地球号)』という名の「時間」の汽車に乗って人生という旅をしている自分が窓外に見える、『過去・現在・未来』という光景(空間)の世界です。
人生劇場の3階・4階・5階から観える背景画面です。
つまり、
人生劇場の4階から観える「自分」が演技する実舞台も、3階・4階・5階から観えるその後ろにある背景画面も共に鑑賞される映像世界です。
現実世界とは自分(内界)と他人(外界)を貫いた全体世界です。
『今』という名の「時間」の汽車に乗って人生という旅をしている自分の世界と、窓外の『過去・現在・未来』という光景(空間=他人の世界)を鳥瞰する世界です。
つまり、
「自分」が演技する実舞台と、その後ろにある背景画面を鑑賞する人生劇場の4階にいる鑑賞者の世界です。
「自分」という自我意識(エゴ)=部分観が消えた全体感の世界こそが、「超世界」に外なりません。
「時間」を超えるとは、「自分」という自我意識(エゴ)が消えることに外なりません。
「時間」を超えるとは、『過去・現在・未来』に思いを馳せることを止めて、『今、ここ』に立ち戻る(思い起こす)ことに外なりません。