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第百九十七話 無力感(無力観)の源泉 わたしたち人間は、生きている中で苦境に直面すると、“神さま、助けてください!”と神頼みをします。 また、“こんなことをしていたら天罰を食らう”と神の祟りを怖れています。 しかし、 “神さま、助けてください!”と言っても、そんな神は決して助けてくれません。 また、“こんなことをしていたら天罰を食らう”と神の祟りを怖れても、そんな神は決して祟りを下せません。 解決法を見出すことができるのは自分しかありません。 何故なら、 わたしたちの人生で直面する悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖に対して、無力感(実は無力観)を与えている犯人とは「時間」であったわけです。 わたしたちの人生で直面する悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖に対しての無力感(実は無力観)とは、「時間」に対しての無力感(実は無力観)に外ならなかったのです。 「時間」とは、「神」と同じで、わたしたち人間が捏造したものです。 神が天地を創造したわけではない。 人間が自分の上に神を捏造したに過ぎない。 「時間」が天地創造主ではない。 人間が自分の上に「時間」を捏造したに過ぎない。 しかも、その「時間」が『過去・現在・未来』という光景(空間)であるものを「時間」として、「空間(自分)」の上に君臨させ、「時空の世界」という四次元世界を捏造した。 一体誰がこんな馬鹿げた話をしたのでしょうか。 それは、わたしたち人間です。 では何故、わたしたち人間は「時間」に対して無力感(実は無力観)を持つのでしょうか。 『過去・現在・未来』に思いを馳せることが、無力感(実は無力観)の源泉だからです。 何故なら、『過去・現在・未来』に思いを馳せることは、土台不可能な行為なのですから。 可能な行為とは、『今、ここ』を生きることに外ならないのですから。 |