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第二百話 完成された知(摩訶般若波羅密多) 「観念の世界(The world of feeling)」で生きているのが、他の生きもの。 「概念の世界(The world of thinking (concept))」で生きているのが、わたしたち人間(どぶねずみ人間)。 「理解の世界(The world of understanding)」で生きるのが、「新人類(超人類)」。 「観念の世界(The world of feeling)」で生きている他の生きものは、「死の観念(The feeling of death)」と「時間の観念(The feeling of time)」を持って生きている。 「死の観念(The feeling of death)」とは、“食うか食われる”という無知の恐怖です。 「時間の観念(The feeling of time)」とは、一日と一年のことです。 言い換えれば、地球の自転と公転のことを指しています。 更に言い換えれば、朝・昼・夜と春夏秋冬のことを指しています。 地球上に存在するすべてのもの、つまり、鉱物・植物・動物は地球固有の一日(自転、朝・昼・夜)と一年(公転、春夏秋冬)を知っています。 言い換えれば、体内時計のことです。 「概念の世界(The world of thinking (concept))」で生きているわたしたち人間(どぶねずみ人間)は、「死の概念(The thinking (concept) of death)」と「時間の概念(The thinking (concept) of time)」を持って生きている。 「死の概念(The thinking (concept) of death)」とは、“自分も必ずいつか死ぬ”という中途半端な有知の恐怖です。 「時間の概念(The thinking (concept) of time)」とは、1秒、1分(=60秒)、1時間(=60分)、1日(=24時間)、1週間(=7日)、1ヶ月(=30日)、1年(=12ヶ月)のことです。 厳密に言えば、 1秒前、1分(=60秒)前、1時間(=60分)前、1日(=24時間)前、1週間(=7日)前、1ヶ月(=30日)前、1年(=12ヶ月)前。 1秒後、1分(=60秒)後、1時間(=60分)後、1日(=24時間)後、1週間(=7日)後、1ヶ月(=30日)後、1年(=12ヶ月)後。 のことです。 言い換えれば、『過去・(現在)・未来』のことです。 言い換えれば、体外時計のことです。 「理解の世界(The world of understanding)」で生きる「新人類(超人類)」は、「死の理解(The understanding of death)」と「時間の理解(The understanding of time)」を持って生きる。 「死の理解(The understanding of death)」とは、“自分は必ずいついつに死ぬ”という完全な有知の無恐怖です。 「時間の理解(The understanding of time)」とは、地球という星には地球固有の「時間」があり、それが、一日(自転、朝・昼・夜)と一年(公転、春夏秋冬)であり、一年(公転、春夏秋冬)=365.25一日(自転、朝・昼・夜)であることを理解していることです。 更に、 「時間の概念(The thinking (concept) of time)」である『過去・(現在)・未来』は本当の「時間」ではなく、「光景(空間)」であり、本当の「時間」は『今』だけであることを理解していることです。 言い換えれば、 静止している時間が本当の「時間」であり、運動している時間はニセモノの「時間」であることを理解していることです。 言い換えれば、 「静止」が実在で、「運動」は映像で、「静止・運動」が現実であることを理解していることです。 この「観念の世界(The world of feeling)」、「概念の世界(The world of thinking (concept))」、「理解の世界(The world of understanding)」こそが、宇宙といったマクロ世界から、人間といったミディアム世界、素粒子といったミクロ世界を貫いた円回帰運動の『誕生(始点)・生(円周)・死(終点)』に外ならないのです。 円回帰運動の帰結とは、無知から始まり(誕生=始点)、中途半端な有知を経由して(生=円周)、完全な有知に円回帰することに(死=終点)に外ならないのです。 |