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第二百六十三話 あなたは蝶々か?人間か? 明日のある「死」なら怖くない。 明日のない「死」なら怖い。 ところが、 「生」は昨日と明日に繋がっているが、「死」は明日に繋がっていない。 「死」が来たら明日はない。 つまり、 「生」には明日があっても、「死」には明日がない。 これは何を意味しているでしょうか。 自我意識(エゴ)、つまり、ニセモノの自分にとっては、 明日のある「生」こそが「生」に外ならない。 明日のない「生」こそが「死」に外ならない。 つまり、 「死」は「生」の不在概念に外ならない。 本当の自分にとっては、 明日のある「死」こそが「生」に外ならない。 明日のない「死」こそが「死」に外ならない。 つまり、 「生」は「死」の不在概念に外ならない。 「眠りの中の夢」は、目が覚めている中の「いわゆる現実」という「夢」より、よりリアルだと以前お話しました。 「眠りの中の夢」とは、「死」から「生」への生還の前触れに外ならないからです。 目が覚めている中の「いわゆる現実」という「夢」とは、「生」から「死」への死還の前触れに外ならないからです。 結局の処、 「死」が実在で、「生」は「死」の不在概念であり、毎日、「死の世界」=「現実の世界」と「生の世界」=「映像の世界」を往来しているのです。 本当の自分は、「死の世界」=「現実の世界」にいる。 自我意識(エゴ)の自分、つまり、ニセモノの自分は、「生の世界」=「映像の世界」にいる。 「眠りの中の夢」とは、「死」から「生」への生還の前触れ、つまり、本当の自分から自我意識(エゴ)の自分、つまり、ニセモノの自分への生還の前触れに外ならない。 朝目が覚めた瞬間(とき)が、その分岐点です。 だから、目が覚めても「眠りの中の夢」は覚えているのです。 「夢(いわゆる現実)の中の眠り」とは、「生」から「死」への死還の前触れ、つまり、自我意識(エゴ)の自分、つまり、ニセモノの自分から本当の自分への死還の前触れに外ならない。 夜眠りに就く瞬間(とき)が、その分岐点です。 だから、眠りに就いたら、「夢(いわゆる現実)の中の眠り」、つまり、目が覚めている中の「いわゆる現実」のことは覚えていないのです。 死ぬことを「永遠の眠り」に就くと言うのは、「死」から「生」への生還が止まる、つまり、「死の甲乙丙」円回帰循環が止まったことを意味する所以です。 あなたは、蝶々になった夢を観ている人間ですか? あなたは、人間になった夢を観ている蝶々ですか? |