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はじめに 人類の歴史を視点を変えて振りかえってみれば、気づき・発見の歴史だと言えるでしょう。 進化という問題も新しい気づき・発見の過程と言い換えることができます。 従って、 知性とは気づき・発見の促進剤みたいなものですが、薬に功罪両面があるように、知性という促進剤にも功罪両面があったわけです。 文明が知性の生んだ功的側面ならば、錯覚が罪的側面であります。 文明社会という人間社会だけが、オス社会であり、支配・被支配二層構造と世襲・相続の差別社会であり、差別・不条理・戦争の渦巻く社会であったことが、知性の功罪両面を如実に顕しています。 宇宙の生成発展の過程が円回帰運動にあるわけですから、知性の生成発展過程も円回帰運動にあります。 従って、 知性の功罪両面現象も、円回帰運動の「円周の世界」における「二元論の世界」現象であるわけで、円回帰運動の「終点の世界」における「三元論の世界」に辿り着く宿命を持っている筈です。 つまり、 知性の功罪両面現象は、 「この世」=「動画面の世界」=「主観の世界」=「概念の世界」=「映像の世界」=「相対の世界」=「運動の世界」=「二元論の世界」=「円周の世界」=「生の世界」=「宗教の世界」=「科学の世界」=「神の世界」=「政治の世界」=「経済の世界」=「歴史の世界」=「悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖の世界」=「差別・不条理・戦争の世界」=「必然の世界」=「過去・現在・未来の世界」 の現象に過ぎず、 知性の辿り着く先は、 「この世とあの世」=「鑑賞席のある映画館の世界」=「主観・客観の世界」=「理解の世界」=「現実の世界」=「絶対・相対の世界」=「静止・運動の世界」=「三元論の世界」=「終点の世界」=「死の世界」=「宗教を超えた世界」=「科学を超えた世界」=「神を超えた世界」=「政治を超えた世界」=「経済を超えた世界」=「歴史を超えた世界」=「悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖を超えた世界」=「差別・不条理・戦争を超えた世界」=「必然・偶然の世界」=「『今、ここ』の世界」 であって、晴れて円回帰運動が完結されるわけです。 文明社会を形成してきた、わたしたち人間の知性は、発展過程半ばの未熟な知性に過ぎなかったのです。 二十一世紀を生きる新しい人間は、成熟した知性を目差すことになるでしょう。 「今朝のお話(Daily Discourse)」Vol.(IV)では、成熟した知性とは如何なるものかについて語っていきたいと思います。 平成20年1月1日 新 田 論
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おわりに 知性を得た人間が最初に辿るのが、「観念の世界」から「概念の世界」ですが、所詮、それは未熟な知性ゆえでした。 成熟した知性を得た人間が最後に辿るのが、「概念の世界」から「理解の世界」です。 残念ながら、古代、中世、近代、そして、現代と辿ってきた文明社会は、未熟な知性の産物に過ぎませんでした。 文明社会の申し子であった「宗教と科学」では、文明社会の落とし子であった「支配・被支配二層構造と世襲・相続の差別制度」を脱却することはできませんでした。 その結果、 文明社会に生きる、わたしたち人間が常にスローガンとして叫び続けてきた「差別・不条理・戦争のない平和な社会」を実現することができませんでした。 その結果、 文明社会に生きる、わたしたち人間が常にスローガンとして叫び続けてきた「悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖のない穏やかな人生」を実現することができませんでした。 宗教や科学は、「差別・不条理・戦争のない平和な社会」を実現するためのものではなかったのです。 宗教や科学は、「悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖のない穏やかな人生」を実現するためのものではなかったのです。 古代、中世、近代、そして、現代と辿ってきた文明社会は、まさに、「オス社会」を頂点にして、「宗教と科学」と「支配・被支配二層構造と世襲・相続の差別社会」で底辺を構成するトライアングル構造の社会であり、「悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖」と「差別・不条理・戦争を繰り返す」社会に外ならなかったのです。 その根源こそが、未熟な知性の産物である「宗教と科学」に外ならなかったのです。 その根源こそが、未熟な知性の産物である「オス社会」に外ならなかったのです。 わたしたち人間(男性)は、オス(男性)こそ知性の申し子であると自負してきました。 確かに、科学者の大半は男性です。 しかし、 オス(男性)こそ未熟な知性の申し子だったのです。 そして、 メス(女性)こそ成熟した知性の申し子だったのです。 平成20年4月10日 新 田 論
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