第三百一話 成熟した知性

わたしたち人間の使う言葉は典型的な「二元論の世界」のものです。
厳密に言えば、
言葉とは、「好いとこ取りの相対一元論の世界」のものです。
すべての言葉が、“・・・が好くて、・・・が悪い”という反義語(反意語)の構造を有しているわけです。
“好き”という言葉には、必ず、“嫌い”という言葉があります。
英語が論理的な言葉である所以は、“好き=like”に対して“嫌い=dislike”といった具合に綴り(spell)自体が反義語(反意語)を示している点にあります。
日本語が非論理的な言葉である所以は、“好き”という言葉と、“嫌い”という言葉の綴り(spell)自体が反義語(反意語)を示していない点にあります。
英米人が論理的であるのに対して、日本人が非論理的だと言われる所以でもあります。
言語を使うわたしたち人間だけが、“・・・が好くて、・・・が悪い”という、いわゆる、「好いとこ取りの相対一元論」の分裂症に陥った所以であり、その結果、悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖の一生を送り、差別・不条理・戦争という悲劇を繰り返してきたわけです。
これは一重に未熟な知性ゆえの錯覚であったわけです。
「二元論の世界」は「未熟な知性の世界」であったわけです。
悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖。
差別・不条理・戦争。
わたしたち人間社会を、こういった錯覚のない世界にするには、未熟な知性を成熟した知性にまで成長させなければなりません。
その鍵は、
“・・・が好くて、・・・が悪い”→“・・・も好くて、・・・も好い”
すなわち、
好き=嫌い
をベースにした新しい言語をつくることです。
その時、如何なる出来事でも「受け入れる人生」を送ることができるのです。
二十世紀を代表する物理学は、アインシュタインの相対性理論に基づく宇宙論、つまり、マクロ世界論と、ハイゼンベルグの不確定性原理に基づく量子論、つまり、ミクロ世界論でした。
しかし、
アインシュタインの相対性理論は、“静止宇宙(人知を超えた神のあの世)が好くて、運動宇宙(わたしたちのこの世)が悪い(一枚のコインの表面が好くて、裏面が悪い)”という「好いとこ取りの相対一元論」に外ならなかった。
ハイゼンベルグの不確定性原理は、“静止宇宙と運動宇宙は二律背反(一枚のコインの裏表)関係にある”という「二元論」に外ならなかった。
共に、わたしたち人間がしている錯覚、つまり、一枚のコインの裏表関係に拘る未熟な知性の領域を脱却し得ていません。
新田哲学は、“静止宇宙が実在で、運動宇宙はその映像に過ぎない(静止宇宙と運動宇宙は静止・運動宇宙という一枚のコインの裏表”という「三元論」に外ならず、わたしたち人間がしている錯覚、つまり、一枚のコインの裏表関係(現象)を超えたコインの質(実在)に迫る成熟した知性を目差しているのです。