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第三百四話 反義語(反意語)から同義語(同意語)へ 今までの常識では、“好き”という言葉と、“嫌い”という言葉は正反対の意味、つまり、反義語(反意語)でした。 だから、 “好きが好くて、嫌いが好くない”という「好いとこ取りの相対一元論」の罠に嵌っていたのです。 だから、 “生が好くて、死が好くない”という「好いとこ取りの相対一元論」の罠に嵌っていたのです。 だから、 “オスが好くて、メスが好くない”という「好いとこ取りの相対一元論」の罠に嵌っていたのです。 だから、 “善が好くて、悪が好くない”という「好いとこ取りの相対一元論」の罠に嵌っていたのです。 だから、 “強が好くて、弱が好くない”という「好いとこ取りの相対一元論」の罠に嵌っていたのです。 だから、 “賢が好くて、愚が好くない”という「好いとこ取りの相対一元論」の罠に嵌っていたのです。 だから、 “富が好くて、貧が好くない”という「好いとこ取りの相対一元論」の罠に嵌っていたのです。 だから、 “幸福が好くて、不幸が好くない”という「好いとこ取りの相対一元論」の罠に嵌っていたのです。 だから、 “天国が好くて、地獄が好くない”という「好いとこ取りの相対一元論」の罠に嵌っていたのです。 「夢の中の眠り」Vol.(V)のChapter900【生・死二元論の死は“死季(しき)”という徳】では、死が実在で、生は死の不在概念に過ぎず、しかも、死は実は“死季(しき)”という徳に外ならないことをお話しました。 同じように、 「夢の中の眠り」Vol.(V)のChapter899【オス・メス二元論のメスは“純潔”という徳】では、メスが実在で、オスはメスの不在概念に過ぎず、しかも、メスは実は“純潔”という徳に外ならないことをお話しました。 「夢の中の眠り」Vol.(V)のChapter895【善・悪二元論の悪は“すなおさ”という徳】では、悪が実在で、善は悪の不在概念に過ぎず、しかも、悪は実は“すなおさ”という徳に外ならないことをお話しました。 「夢の中の眠り」Vol.(V)のChapter894【強・弱二元論の弱は“いさぎよさ”という徳】では、弱が実在で、強は弱の不在概念に過ぎず、しかも、弱は実は“いさぎよさ)”という徳に外ならないことをお話しました。 「夢の中の眠り」Vol.(V)のChapter896【賢・愚二元論の愚は“愚鈍(謙虚さ)”という徳】では、愚が実在で、賢は愚の不在概念に過ぎず、しかも、愚は実は“愚鈍(謙虚さ)”という徳に外ならないことをお話しました。 「夢の中の眠り」Vol.(V)のChapter887【貧・富二元論の貧は“清貧”という徳】では、貧が実在で、富は貧の不在概念に過ぎず、しかも、貧は実は“清貧”という徳に外ならないことをお話しました。 「夢の中の眠り」Vol.(V)のChapter897【不幸は“しあわせの谷間”という徳】では、不幸が実在で、幸福は不幸の不在概念に過ぎず、しかも、不幸は実は“しあわせの谷間”という徳に外ならないことをお話しました。 「夢の中の眠り」Vol.(V)のChapter898【天国・地獄二元論の地獄は“竜宮城”という徳】では、地獄が実在で、天国は地獄の不在概念に過ぎず、しかも、地獄は実は“竜宮城”という徳に外ならないことをお話しました。 次のお話から、新しい社会の新しい言葉を検証していきたいと思います。 |