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第三百六話 オス・メス二元論のメスは“純潔”という徳 今までの常識では、“オス”という言葉と、“メス”という言葉は正反対の意味、つまり、反義語(反意語)でした。 だから、 “オスが好くて、メスが好くない”という「好いとこ取りの相対一元論」の罠に嵌っていたのです。 「夢の中の眠り」Vol.(V)のChapter899【オス・メス二元論のメスは“純潔”という徳】では、メスが実在で、オスはメスの不在概念に過ぎず、しかも、メスは実は“純潔”という徳に外ならないことをお話しました。 「夢の中の眠り」Vol.(V)のChapter899【オス・メス二元論のメスは“純潔”という徳】を下記引用します。 “純潔”という言葉は本来“純血種”から派生したもので、種を保存することを、純潔を守ると言うのです。 競争馬のことをサラブレッド(Thoroughbred)と呼んでいる(Thorough bred:bredはbreedの過去分詞形)のは純血種という意味であります。 ひとたび異種が入ったら(Thoroughbred)と呼べない。 犬のブリーダー(breeder)でも、ひとたび雑種と交尾したら、たとえ妊娠しなくても、そのメス犬は純血種(Thoroughbred)ではなくなるのです。 純潔(血)とは唯一の種しか受け入れない意味であり、処女性ではありません。 処女性とは一切の種を受け入れない意味であります。 運動の宇宙は二元論的であるから、オス(正物体)とメス(負物体)が必ず存在しているのですが、二元論の本質は一枚のコインの表裏二元であり、オスとメスは補完関係にあり、子供を産むメスが主体(実在)であり、オスは飽くまで客体(不在概念)に過ぎません。 オス・メス二元の主体であるメスだからこそ純潔を問われるわけです。 オスに純潔(血)を問うことなど無意味なことです。 子供を産むということは純潔(血)を守る、つまり、唯一の種しか受け入れないことであります。 結婚時における処女性の重要さがあるのは、結婚制度が生まれた人間社会では、結婚することが子供を産むことと同義語になっているからです。 一度処女を喪失した限り、処女を喪失させたオスの種が唯一の種になるからであり、そのオス以外の種を受け入れることは純潔(血)を守れない、つまり、メスの本来性を喪失することになるのです。 純血種(Thoroughbred)のメス犬が一度でも異種のオス犬と交尾した限り、たとえ妊娠しなくても、そのメス犬は純血種(Thoroughbred)ではなくなるのです。 結婚前に処女を喪失しても、処女を喪失させた男と違う男と結婚して平然と子供を産むことは人間種の純血種(Thorough bred)を守るメスとして失格なのです。 男(オス)が主体の人間種では、純潔度がオス・メス変形二元論、つまり、“おんならしさ”の甲・乙・丙であり、純潔度(おんならしさ)の不在概念である客体のオスが甲状態であるからして、人間社会だけが男性社会(オス社会)になったのであります。 メス社会である他の生き物の社会では、メスが純潔度(おんならしさ)の甲状態であり、オスが純潔度(おんならしさ)の丙状態にあるのです。 “女らしさ”とは純潔度のことであり、純潔(血)を守ることこそが、来る女性社会の徳に外なりません。 |