第三百八話 強・弱二元論の弱は“いさぎよさ”という徳

今までの常識では、“強”という言葉と、“弱”という言葉は正反対の意味、つまり、反義語(反意語)でした。
だから、
“強が好くて、弱が好くない”という「好いとこ取りの相対一元論」の罠に嵌っていたのです。
「夢の中の眠り」Vol.(V)のChapter894【強・弱二元論の悪は“いさぎよさ”という徳】では、弱が実在で、強は弱の不在概念に過ぎず、しかも、弱は実は“いさぎよさ”という徳に外ならないことをお話しました。
「夢の中の眠り」Vol.(V)のChapter894【強・弱二元論の悪は“いさぎよさ”という徳】を下記引用します。

百獣の王ライオンはその名の通り強者の代表です。
生命の危険に満ちているアフリカのサバンナでも平然と仰向けになって昼寝をしている様は真の強者の態度であります。
危険から免れるために常にまわりをきょろきょろしていた結果、目線を上げるため二本足動物になった人類の態度とは大違いで、人類は弱者の代表です。
強者の代表であるライオンはアフリカのサバンナだけに押し込められ、弱者の代表である人類は地上を制覇した。
強・弱二元論とは、弱が実在するもので、強はその不在概念に過ぎないことを、強者の代表であるライオンと弱者の代表である人類の相対性が示唆しているのであります。
強・弱二元論は弱度(いさぎよさ)の甲・乙・丙という変形二元論に展開され、強者の代表であるライオンとは弱度(いさぎよさ)の甲状態であり、弱者の代表である人類は弱度(いさぎよさ)の丙状態に過ぎないのです。
好いとこ取りの相対的一元論で生きている人類は、“強は好くて、弱は悪い”と思い込んでいるが、ライオンの前に立てば震えあがる人類は果たして真の強者と言えるのでしょうか。
ヤクザに脅されて震えあがる人間は果たして真の強者と言えるのでしょうか。
真の強者であるライオンと偽の強者であるヤクザとの違いは潔(いさぎよ)さにあります。
真の強者であるライオンは戦う相手を選びません。
ボス争いをするオスのライオン達には潔(いさぎよ)さがあります。
偽の強者であるヤクザは弱者のみを相手に選びます。
ヤクザの世界には、“びびらしてなんぼ”という言葉があるように、“びびらす”相手は弱者と決まっている。
丸腰で戦う相手と対峙できるのが真の強者の態度であり、武器を持たないと戦う相手と対峙できないのが偽の強者の態度であります。
アメリカは「世界の警察国家」ではなく、「世界のヤクザ国家」であると申しましたが、原爆や最新兵器を持って戦う態度は真の強者の態度ではありません。
聖職者としての警察なら丸腰でイラクと戦うべきであり、丸腰で日本軍と戦うべきであったのに、日本のしかも戦士ではない日本国民のど真ん中に原爆を落とした行為は、まさに“びびらしてなんぼ”の偽の強者であるヤクザの態度に外なりません。
国連の常任理事国だけが原爆を保有することができるという人間社会そのものが“びびらしてなんぼ”のヤクザ社会に外なりません。
強・弱二元論の変形である弱度(いさぎよさ)の甲・乙・丙の甲状態つまり弱度(いさぎよさ)を最も有する甲状態が真の強者であり、弱度(いさぎよさ)を最も有しない丙状態が偽の強者であるのです。
ところが、偽の強者であるヤクザ社会で好いとこ取りの相対的一元論の生き方をしているわたしたちは、“強は好くて、弱は悪い”と思い込んでいるわけですが、“強は好くて、弱は悪い”の“強”とは強・弱変形二元論では、弱度(いさぎよさ)の丙状態に外ならないことがわかっていないのです。
真の強者とは、弱度(いさぎよさ)を最も有する者のことであります。
偽の強者とは、弱度(いさぎよさ)を最も有しない者のことであります。
甲・乙・丙状態が逆(Paradoxical)になっているのです。
弱度(いさぎよさ)とは本来“潔(いさぎよ)さ”という徳であるのです。
イラク戦争やイスラエル・パレスチナ紛争で最新兵器を駆使して戦う偽の強者であるヤクザ国家はどちらか、丸腰で自爆テロをする真の強者であるライオン国家はどちらか。
アラブ社会で真の王のことを“砂漠のライオン”と呼んでいるのは、やはりライオンの態度が真の強者の態度であるからです。