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第三百十二話 天国・地獄二元論の地獄は“竜宮城”という徳 今までの常識では、“天国”という言葉と、“地獄”という言葉は正反対の意味、つまり、反義語(反意語)でした。 だから、 “天国が好くて、地獄が好くない”という「好いとこ取りの相対一元論」の罠に嵌っていたのです。 「夢の中の眠り」Vol.(V)のChapter898【天国・地獄二元論の地獄は“竜宮城”という徳】では、地獄が実在で、天国は地獄の不在概念に過ぎず、しかも、地獄は実は“竜宮城”という徳に外ならないことをお話しました。 「夢の中の眠り」Vol.(V)のChapter898【天国・地獄二元論の地獄は“竜宮城”という徳】を下記引用します。 浦島太郎の物語に出てくる竜宮城への旅は、宇宙への旅を示唆しています。 地球(この世)に対して、宇宙(あの世)は時間の感覚がまったく違った世界であることを、最後の玉手箱で表現しています。 竜宮城は天国のような世界であるということは、この世は逆に地獄のような世界であると言っているのでしょう。 竜宮城への旅のきっかけになったのが、浜辺で人間の子供たちに虐待されていた亀を助け、亀がその恩返しにと竜宮城に誘ってくれるわけです。 この世は地獄、竜宮城は天国。 天国・地獄二元論はこうやって誕生したわけです。 わたしたちが生きているこの世は、何の罪もない亀を本来何の罪もない人間の子供が虐待するという堕落し切った世界、つまり、地獄であるわけです。 本来何の罪もない無垢な人間の子供までが弱いものいじめをする世界が地獄であり、汚れ切った人間の大人の織り成す世界が地獄というわけではないのです。 悪徳政治家・役人や、反社会行為をする暴力団が横行する世界が地獄というわけではなく、何の変哲もない普通の人間が無意識の中で自然(亀)を虐待する世界を地獄だと言うのです。 意識の眠った人間が地獄をつくっている。 善悪二元論の悪が地獄をつくっているのではない。 自分を善だと勘違いしている鈍感さ、つまり、意識の眠りが地獄をつくっているのです。 玉手箱は意識の眠りから目を覚ませと言っているのです。 天国の竜宮城は決して海(宇宙)の中にあるのではなく、地獄の真只中のこの世にあるのです。 天国とは地獄の一形態に過ぎないのであって、天国という世界が実在するのではありません。 竜宮城とは地獄界であるこの世のことを指すのであります。 宗教や精神世界を探求する人間は悉く偽善者と言っても過言ではありません。 偽善者の偽善者たる所以は、善悪の判断ではなく、意識が眠っている程度のことを示しているのです。 意識が眠っているかどうかのバロメーターは、偽善と偽悪の間の程度の問題であります。 偽善であればあるほど意識の眠りが深い。 偽悪であればあるほど意識の眠りは浅い。 平たく言えば、“好い(善い)子振っている”人間は悉く意識が眠っていると言えるでしょう。 現代日本社会の人間、特に若い世代の特徴は、人と違ったことをするのを嫌う傾向が極端に強いことです。 人と違ったことをするのを嫌う癖に、自分を主張するといった自己矛盾を内在しているのです。 この自己矛盾こそ意識の眠りに外なりません。 人と違ったことをするのを嫌うのは、他人から悪く思われたくない自己防衛本能の発露であることに気づかずに、人に対する思いやりと曲解して正当づけする行為こそ、偽善の偽善たる所以であります。 “世界の平和の為に”と思いやりを示して世界に戦争をばら撒くアメリカを中心の白人欧米国家こそ独善(偽善)国家であります。 下手な他人への思いやりこそ偽善そのものであり、意識の眠っている証明であり、意識の眠っている者が織り成す世界のことを地獄と言うのです。 普通の人間が織り成す意識の眠った世界こそ、この世の竜宮城であり、地獄でありますが、玉手箱を開けると、意識の眠りから覚めることができるのも、この世の竜宮城であります。 天国とはそんなこの世の竜宮城の一形態に過ぎないのであって、死んだ後のあの世に天国と地獄があるのではないのです。 死ねば魂は消滅するだけのことで、不滅なのは灰(珪素)という元素になった肉体だけであります。 宗教や精神世界を探求する人間が、魂は永遠不滅などと嘯くことこそが偽善の最たるものであり、意識が眠っている証明であります。 |