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第三百十三話 個人の目覚め 典型的な「二元論の世界」の言葉で、わたしたち人間が生きていると思い込んでいる「この世」=「動画面の世界」=「主観の世界」=「概念の世界」=「映像の世界」=「相対の世界」=「運動の世界」=「二元論の世界」=「円周の世界」=「生の世界」=「宗教の世界」=「科学の世界」=「神の世界」=「政治の世界」=「経済の世界」=「歴史の世界」=「悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖の世界」=「差別・不条理・戦争の世界」=「必然の世界」=「過去・現在・未来の世界」=「未熟な知性の世界」が「錯覚の世界」であることを説明してきました。 「錯覚の世界」だから、 “好きが好くて、嫌いが好くない”という「好いとこ取りの相対一元論」の罠に嵌っていたのです。 だから、 “生が好くて、死が好くない”という「好いとこ取りの相対一元論」の罠に嵌っていたのです。 だから、 “オスが好くて、メスが好くない”という「好いとこ取りの相対一元論」の罠に嵌っていたのです。 だから、 “善が好くて、悪が好くない”という「好いとこ取りの相対一元論」の罠に嵌っていたのです。 だから、 “強が好くて、弱が好くない”という「好いとこ取りの相対一元論」の罠に嵌っていたのです。 だから、 “賢が好くて、愚が好くない”という「好いとこ取りの相対一元論」の罠に嵌っていたのです。 だから、 “富が好くて、貧が好くない”という「好いとこ取りの相対一元論」の罠に嵌っていたのです。 だから、 “幸福が好くて、不幸が好くない”という「好いとこ取りの相対一元論」の罠に嵌っていたのです。 だから、 “天国が好くて、地獄が好くない”という「好いとこ取りの相対一元論」の罠に嵌っていたのです。 だから、 “神が好くて、悪魔が好くない”という「好いとこ取りの相対一元論」の罠に嵌っていたのです。 未熟な知性ゆえの錯覚であったわけです。 「錯覚の世界」から脱却するには、「個人の目覚め」しかありません。 |