第三百二十四話 “如何に生きるか?”は幻想(映像)

二十世紀までの未熟な知性の人間は、「生」、つまり、“如何に生きるか?”をキーワードにしてきました。
だから、
未熟な知性では、死の世界を受け入れられないのです。
未熟な言語では、死の世界を受け入れられないのです。
二十一世紀からの成熟した知性の人間は、「死」、つまり、“如何に死ぬか?”をキーワードにすることになるでしょう。
なぜならば、
成熟した知性は、死の世界を受け入れられるからです。
成熟した言語は、死の世界を受け入れられるからです。
「死」が実在で、「生」は「死」の不在概念に過ぎないのですから、死の世界を受け入れることはできても、生の世界を受け入れることはできません。
それなのに、
わたしたち人間(どぶねずみ人間)は、“如何に生きるか?”をキーワードにして生き、“如何に死ぬか?”を死ぬまで避けて生きてきました。
つまり、
“如何に生きるか?”とは、“如何に死ぬか?”を死ぬまで避けて生きることに外ならないのです。
“如何に死ぬか?”を永遠に避けて生きられるなら、“如何に生きるか?”を問うてもいいでしょう。
“如何に死ぬか?”を永遠に避けて生きられないなら、“如何に死ぬか?”を徹底的に問うてみるべきです。
“如何に生きるか?”を問うことは所詮不可能なことなのです。
何故なら、それは、所詮鑑賞している映画の中の出来事なのですから。