第三百二十六話 “如何に生きるか?”は馬鹿げた問い

成熟した知性なら、“如何に死ぬか?”を必ず問います。
未熟な知性だから、“如何に生きるか?”を問うのです。
つまり、
“死が実在で、生は死の不在概念に過ぎない”ところの「生」を追いかけるという土台不可能なことをするわけです。
その結果、
“メスが実在で、オスはメスの不在概念に過ぎない”ところの「オス」を追いかけるという土台不可能なことをするわけです。
“悪が実在で、善は悪の不在概念に過ぎない”ところの「善」を追いかけるという土台不可能なことをするわけです。
“弱が実在で、強は弱の不在概念に過ぎない”ところの「強」を追いかけるという土台不可能なことをするわけです。
“愚が実在で、賢は愚の不在概念に過ぎない”ところの「賢」を追いかけるという土台不可能なことをするわけです。
“貧が実在で、富は貧の不在概念に過ぎない”ところの「富」を追いかけるという土台不可能なことをするわけです。
“不幸が実在で、幸福は不幸の不在概念に過ぎない”ところの「幸福」を追いかけるという土台不可能なことをするわけです。
“地獄が実在で、天国は地獄の不在概念に過ぎない”ところの「天国」を追いかけるという土台不可能なことをするわけです。
“悪魔が実在で、神は悪魔の不在概念に過ぎない”ところの「神」を追いかけるという土台不可能なことをするわけです。
“病気が実在で、健康は病気の不在概念に過ぎない”ところの「健康」を追いかけるという土台不可能なことをするわけです。
“被支配が実在で、支配は被支配の不在概念に過ぎない”ところの「支配」を追いかけるという土台不可能なことをするわけです。
“暗闇が実在で、光は暗闇の不在概念に過ぎない”ところの「光」を追いかけるという土台不可能なことをするわけです。

“如何に死ぬか?”を問うた瞬間、
こういった馬鹿げた生き方はしなくなります。