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第三百二十七話 “如何に?”と“何か?” 「生」について問うなら、“生とは何か?”です。 「死」について問うなら、“如何に死ぬか?”です。 何故なら、 死が実在で、生は死の不在概念に過ぎないからです。 実在するものに対する問いかけは、“如何に?(How?)”しかありません。 実在しないものに対する問いかけが、“何?(What?)”になるのです。 言い換えれば、 “如何に?(How?)”は「在り方」に外なりません。 つまり、 行動(実行)することに外なりません。 “何?(What?)”は「考え方」に外なりません。 つまり、 知識(知性)に外なりません。 “如何に死ぬか?”は行動(実行)が伴うから可能なことです。 “如何に生きるか?”は“生とは何か?”という知識(知性)だけであり、行動(実行)が伴わないから不可能なことです。 知識ばかり頭に詰めこんだ頭でっかちの人間が、まったく行動(実行)が伴わない所以がここにあります。 「概念の世界」に生きているわたしたち人間が悩みや四苦八苦をし、挙句の果ての、死の恐怖を持って生きているのは、知識ばかり頭に詰めこんだ頭でっかちで、行動(実行)が伴わないからです。 それは、“何?(What?)”を問うからです。 つまり、 “如何に生きるか?”を問うからです。 “如何に生きるか?”を問うたら、行動(実行)は絶対についてきません。 つまり、 “如何に生きるか?”という問いは、過去・現在・未来に想いを馳せていることに外ならないのです。 それは、“如何に?(How?)”を問うべきです。 “如何に死ぬか?”を問うべきです。 “如何に死ぬか?”を問うたら、行動(実行)が絶対についてきます。 つまり、 “如何に死ぬか?”という問いは、『今、ここ』を生きていることに外ならないのです。 |