第三百二十九話 一生という円回帰運動

「錯覚の世界」という現象は何故起こるのでしょうか。
現象とは映像であって、実在するものではないことを先ず理解しなければなりません。
そのためには、マクロ宇宙からミクロ宇宙まで一貫している円回帰運動のことを思い起こしてください。
大宇宙のパノラマの中にある、わたしたち太陽系においても、惑星は太陽の周りを公転しながら、自ら自転しています。
太陽系の中心である太陽という恒星も、スバル座という小星雲系において、その中心であるアルシオーネという星の周りを公転し、自らも自転しています。
スバル座という小星雲系の中心であるアルシオーネも、10万光年の大きさを持つ銀河系大星雲において、その中心である太陽200個分ぐらいの大きな星(多分ブラックホール)の周りを公転し、自らも自転しています。
銀河系大星雲の中心である太陽200個分ぐらいの大きな星(多分ブラックホール)も、137億光年の大きさを持つ全体宇宙の中心の周りを公転し、自らも自転しています。
一方、
ミクロ宇宙においても、物質(物体)、分子、原子、電子や原子核(陽子と中性子)といった素粒子、更に微小な素粒子であるクォークやニュートリノ・・・においても、同じことが言えます。
円は円回帰運動の一つである円周であって、実在するものではありません。
実在するのは静止している点だけです。
点が円回帰運動しているから円に見えるだけです。
つまり、
円とは現象(映像)である円周に外ならず、その正体は始点という点であり、終点という点に外ならないのです。
ところが、わたしたち人間は、その円が実在しているものだと錯覚している。
円とは、始点と円周と終点とで構成されていて、実在するのは始点(=終点)だけであり、円周は飽くまで現象(映像)なのです。
円運動と言わずに円回帰運動と称している理由は、始点・円周・終点で構成されているからです。
始点・円周・終点で構成されている円回帰運動を、わたしたち人間というミディアム宇宙において言い換えるなら、誕生・生・死になるわけです。
つまり、
わたしたち人間が誕生して、生きて、そして死んでいくという、つまり、人間の一生も円回帰運動の一環に過ぎず、誕生(始点)・生(円周)・終点(死)に外ならないのです。
始点(誕生)=終点(死)が実在する静止点であって、円周(生)は所詮現象(映像)に過ぎないと主張する新田哲学の根拠がここにあるのです。
静止宇宙が実在で、運動宇宙は所詮現象(映像)に過ぎない、つまり、静止宇宙の不在概念に過ぎないと主張する新田哲学の根拠がここにあるのです。