第三百三十一話 音痴の正体

「錯覚の世界」を生きていると錯覚している自覚症状の無い音痴。
先ず、音痴であることを自覚する。
自覚したら、次に音痴を治す。
では音痴とは一体どんなものなのでしょうか。
音痴とは、音程を正確に把握、表現できない一種の耳の病気です。
つまり、
五感の機能障害に外なりません。
だから、音痴のことを英語では、“tone-deaf”と言って、“deaf”とは聴力障害者のことであり、“tone”とは音程のことです。
では「錯覚の世界」の錯覚とは一体どんな錯覚なのでしょうか。
五感機能障害を起こしていることに外なりません。
五感機能とは、自他の区分け機能であることは以前にもお話しました。
自他の区分けをすることで自我意識(エゴ)、つまり、“自分”という意識が生じるのです。
実は、この“自分”という意識が四六時中勘違いをしていることが錯覚の正体に外ならないのです。
新田哲学が、わたしたち人間が錯覚の生きものであると主張する所以です。
わたしたち人間は四六時中勘違いをしている。
“生が好くて、死が悪い”、“健康が好くて、病気が悪い”、“お金持ちが好くて、貧乏が悪い”といった勘違いをしている。
どんな勘違いかと申しますと、
“生が好くて、死が悪い”のではなくて、実は、“死が好くて(実在で)、生が悪い(実在しない)”のが本来なのです。
“健康が好くて、病気が悪い”のではなくて、実は、“病気が好くて(実在で)、健康が悪い(実在しない)”のが本来なのです。
“お金持ちが好くて、貧乏が悪い”のではなくて、実は、“貧乏が好くて(実在で)、お金持ちが悪い(実在しない)”のが本来なのです。
つまり、
主客転倒しているわけです。
わたしたち人間に何故こんなことが起こったのでしょうか。
「時間の概念」を持ったからです。
“過去・現在・未来”という「時間の概念」を持ったからです。
地球上に生きているものはみんな、『今(地球号)』という名の汽車に乗って旅をしています。
わたしたち人間も、『今(地球号)』という名の汽車に乗って人生という旅をしています。
わたしたち人間だけが、汽車の窓のカーテンを開けて外の景色を観た。
つまり、
善悪の判断をする知恵の木の実を食べてエデンの園を追放された。
つまり、
知性を得た。
その結果、
窓外に“過去・現在・未来”という景色を観た。
つまり、
「時間の概念」を持った。
問題はここからです。
『今(地球号)』という汽車に乗っている自分が動いていて、窓外に観える“過去・現在・未来”という景色が止まっているのに、自分が止まっていて、“過去・現在・未来”が動いていると勘違いしてしまったわけです。
“天動説”と”地動説”の違いと同じわけです。
現代社会に生きるわたしたちは、知識では”地動説”を信じていますが、身体では“天動説”を信じているのです。
この結果、
主客転倒の勘違いが起こったのです。
“過去・現在・未来”が動いているのではなくて、『今』が動いているのです。
物理学では、“三本の時間の矢”と呼ばれているものがあって、その一本に“心理的な時間の矢”があって、過去から現在を経て未来へと一方通行する時間のことを指しています。
つまり、
現代物理学では、“過去・現在・未来”が一方通行する「時間」だと言うわけです。
言い換えれば、
“過去・現在・未来”という「時間」は動くものだと言っているわけです。
これこそ、主客転倒の勘違いに外ならないのに、わたしたち現代人は科学を盲信している結果、音痴に成り下がってしまったのです。
“過去・現在・未来”は光景(空間)であって決して時間ではない。
『今』が唯一の時間であり、静止していると思っている『今』という時間が自分と一緒に動いているのです。