第三百三十三話 自分独りの世界

二重の錯覚が、わたしたち人間が本当の自分に気づくことを殆ど不可能にしているわけです。
悟りとは、この二重の錯覚からの気づきに外ならないのです。
悟りとは、欲望、煩悩から解脱することだとか、神を信じることだとか、正しい行いをすることだとか、そんな対症療法的なやり方で悟ることなどできません。
現代人間社会は、医療のみならず、すべての面で対症療法的手法を採ろうとします。
症状の原因を取り除くことをせず、症状そのものだけを取り除こうとします。
そんな対症療法的手法を繰り返すと、原因は更に深くなっていきます。
地球温暖化といった地球環境問題も、二酸化炭素といった温室効果ガスを目の敵にした低炭素社会の実現などと科学者が言っていますが、これも対症療法的手法に過ぎません。
原因をつくった張本人は、わたしたち人間であるのに、それを炭素を目の敵にするなど以っての外です。
目の敵にしている炭素は有機生命体にとっては絶対必須の元素であることを忘れてはいけません。
宗教者や科学者の言うことは、己の欲得のためであることを肝に銘ずるべきです。
結局の処、
すべての原因は、わたしたち人間が「錯覚の世界」を生きていると錯覚している二重の錯覚にあることを肝に銘ずることが何にも増して大事です。
自覚症状の無い音痴からの脱却が何にも増して大事です。
政治や経済のやっていることもすべて対症療法に過ぎず、根本解決にはなりません。
一重に個人の目覚めに掛かっています。
二十一世紀が「個人の時代」と言われている本当の理由は、二重の錯覚に気づくことができるのは、個人の目覚めに掛かっているからです。
二十世紀までのわたしたち人間社会が、差別・不条理・戦争を繰り返してきたのは、二重の錯覚が原因であったわけですが、二重の錯覚に気づくことができなかったのは、組織を重視して、個人を軽視してきたからです。
組織の最大単位である国家から最小単位の家族まで、組織のために個人を犠牲にする時代ではもはやありません。
現に、二十一世紀に入って、国家から家族まで崩壊の憂目に遭っていて、その傾向はますます強くなっていることが、そのことを証明しています。
「自分独りの世界」に生きているのであって、周りの世界はすべて「映像の世界」であることは、二十一世紀の常識になります。