|
第三百三十四話 自覚するとは気づくこと 「錯覚の世界」を生きていると錯覚しているわたしたち人間。 だから、 わたしたち人間の一生、つまり、人生は悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖に苛まれ、「オス社会」を頂点にして、「宗教と科学」と「支配・被支配二層構造と世襲・相続の差別社会」で底辺を構成するトライアングルの社会をつくり、差別・不条理・戦争を繰り返し、とうとう、自分たちの母なる大地・地球と戦争を起こしてしまった。 その結果が、地球温暖化といった地球環境問題であるわけです。 では、わたしたち人間が生きていると思い込んでいる「錯覚の世界」とは一体どんな世界なのでしょうか。 「この世」=「動画面の世界」=「主観の世界」=「概念の世界」=「映像の世界」=「相対の世界」=「運動の世界」=「二元論の世界」=「円周の世界」=「生の世界」=「宗教の世界」=「科学の世界」=「神の世界」=「政治の世界」=「経済の世界」=「歴史の世界」=「悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖の世界」=「差別・不条理・戦争の世界」=「必然の世界」=「過去・現在・未来の世界」=「未熟な知性の世界」に外なりません。 つまり、 わたしたちが所謂、「現実の世界」と言っている世界のことであります。 わたしたちの目の前に展開している所謂、「現実の世界」とは「錯覚の世界」に外ならないのです。 わたしたちの目の前に展開している所謂、「この世」とは「錯覚の世界」に外ならないのです。 わたしたちの目の前に展開している所謂、「宗教の世界」=「科学の世界」=「神の世界」=「政治の世界」=「経済の世界」=「歴史の世界」とは「錯覚の世界」に外ならないのです。 わたしたちの目の前に展開している所謂、「悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖の世界」=「差別・不条理・戦争の世界」とは「錯覚の世界」に外ならないのです。 わたしたちの目の前に展開している所謂、「必然の世界」=「過去・現在・未来の世界」とは「錯覚の世界」に外ならないのです。 わたしたちの目の前に展開している所謂、「相対の世界」=「運動の世界」=「二元論の世界」とは「錯覚の世界」に外ならないのです。 わたしたちの目の前に展開している所謂、「円周の世界」=「生の世界」とは「錯覚の世界」に外ならないのです。 そのことに気がつけば、「死」の問題など雲散霧消してしまいます。 何故ならば、 わたしたちが生きている本当の世界とは、「死の世界」なのですから。 わたしたちが生きている本当の世界とは、 「あの世」=「静止画フィルムの世界」=「客観の世界」=「観念の世界」=「実在の世界」=「絶対の世界」=「静止の世界」=「一元論の世界」=「始点の世界」=「誕生の世界」=「宗教のない世界」=「科学のない世界」=「神のない世界」=「政治のない世界」=「経済のない世界」=「歴史のない世界」=「悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖のない世界」=「差別・不条理・戦争のない世界」=「偶然の世界」=「『今』の世界」=「知性のない世界」なのですから。 そのことに気づけば、 わたしたち人間は、 「この世とあの世」=「鑑賞席のある映画館の世界」=「主観・客観の世界」=「理解の世界」=「現実の世界」=「絶対・相対の世界」=「静止・運動の世界」=「三元論の世界」=「終点の世界」=「死の世界」=「宗教を超えた世界」=「科学を超えた世界」=「神を超えた世界」=「政治を超えた世界」=「経済を超えた世界」=「歴史を超えた世界」=「悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖を超えた世界」=「差別・不条理・戦争を超えた世界」=「必然・偶然の世界」=「『今、ここ』の世界」=「成熟した知性の世界」に行き着くことができるのです。 |