第三百三十五話 “自分も必ずいつか死ぬ”の意味

「生の世界」という「錯覚の世界」を生きていると錯覚しているから、わたしたち人間は死を恐れるのです。
「死の世界」という「現実(実在)の世界」を生きていると自覚したら、わたしたち人間は死を恐れなくなるのです。
現に、わたしたち人間は「死の世界」を生きているのです。
必ず死ぬことを知っていながら、死期がわからないのがその証明です。
“自分も必ずいつか死ぬ”ということがその証明です。
わたしたち人間は、千差万別の考え方を持っていますが、“自分も必ずいつか死ぬ”ということに異論を挟む人は、「死」を知らない子供以外誰一人いません。
“自分も必ずいつか死ぬ”ということは、「死の世界」を生きている証明です。
何故なら、“自分も必ずいつか死ぬ”ことを信じて生きているということは、死と背中合わせで生きていることに外ならないからです。
“死ぬ時期がわからないのに、必ず死ぬことは知っている”という意味は、死と背中合わせで生きていることに外ならないのです。
つまり、
今すぐに死ぬこともあり得るということです。
つまり、
死ぬとは、『今、ここ』を死ぬことに外ならないのです。
昨日死ぬこともあり得ないし、明日死ぬこともあり得ない。
死ぬのは、常に『今、ここ』なのです。
何故なら、「死の世界」が「現実(実在)の世界」なのですから。
生きていること、つまり、「生の世界」が「現実(実在)の世界」であるためには、永遠に死なないことが条件ですから、“自分も必ずいつか死ぬ”という限り、生きていること、つまり、「生の世界」は「映像の世界」に外ならない証明です。
“自分も必ずいつか死ぬ”の意味とは、「死」が先の話ではないのに、先の話だと勘違いして、「錯覚の世界」を生きていると錯覚している二重の錯覚に外なりません。