第三百三十六話 死中活有り

“自分も必ずいつか死ぬ”ということは、死と背中合わせで生きていることに外ならない。
“死ぬ時期がわからないのに、必ず死ぬことは知っている”という意味は、死と背中合わせで生きていることに外ならない。
つまり、
今すぐに死ぬこともあり得るということです。
つまり、
死ぬとは、『今、ここ』を死ぬことに外ならないのです。
昨日死ぬこともあり得ないし、明日死ぬこともあり得ない。
死ぬのは、常に『今、ここ』なのです。
「死の世界」が実在で、「生の世界」は「死の世界」の不在概念に過ぎない証明です。
従って、
生きているということは、死と背中合わせで生きているのではないのです。
生きているということは、生と背中合わせで死んでいることに外ならないのです。
死が背中合わせにある生ではなくて、生が背中合わせにある死に外ならないのです。
「死中活有り」
六中感の一つです。
「死中活有り」
「死」が実在で、「活(生)」は「死」の不在概念に過ぎないという意味です。
「忙中閑有り」
「忙」が実在で、「閑」は「忙」の不在概念に過ぎないという意味です。
「苦中楽有り」
「苦」が実在で、「楽」は「苦」の不在概念に過ぎないという意味です。
「腹中書有り」
「腹(肝識)」が実在で、「書(知識)」は「腹(肝識)」の不在概念に過ぎないという意味です。
「意中人有り」
「意(自己)」が実在で、「人(他人)」は「意(自己)」の不在概念に過ぎないという意味です。
「壷中天有り」
「壷(地動説)」が実在で、「天(天動説)」は「壷(地動説)」の不在概念に過ぎないという意味です。
「死の世界」が実在で、「生の世界」は「死の世界」の不在概念に過ぎないことを知っているのが、成熟した知性なのです。
まさに、
未熟な知性とは、死の世界を受け入れられない知性に外なりません。
未熟な言語とは、死の世界を受け入れられない言語に外なりません。
成熟した知性とは、死の世界を受け入れられる知性に外なりません。
成熟した言語とは、死の世界を受け入れられる言語に外なりません。