第三百三十七話 逆さまの人生

「死中活有り」
「死」が実在で、「活(生)」は「死」の不在概念に過ぎない。
生きているということは、生と背中合わせで死んでいることに外ならない。
死が背中合わせにある生ではなくて、生が背中合わせにある死に外ならない。
二重の錯覚をしているわたしたち人間は、「生」と「死」の問題を逆さまに捉えてきたのです。
つまり、
“生が好くて、死が悪い”という考え方です。
言い換えれば、
“過程が好くて、結果が悪い”という考え方です。
どうやら、この点においても、わたしたちは支離滅裂のようです。
過程さえ好ければ、結果は悪くても好いと本音で思っている人は多分誰もいないでしょう。
建前でそう言っても、本音では、結果を重視しているはずです。
それならば、“生が好くて、死が悪い”という考え方は矛盾しています。
過程が悪くても、結果が好ければ好いのなら、“生が悪くても、死が好ければ好い”のが本音のはずです。
二重の錯覚をしているわたしたち人間は、「生」と「死」の問題を逆さまに捉えてきたのです。
だから、
わたしたち人間は、死の世界を受け入れられないで生きているのです。
だから、
わたしたち人間は、悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖の一生を送っているのです。
だから、
わたしたち人間は、差別・不条理・戦争を繰り返しているのです。
まさに、
未熟な知性とは、死の世界を受け入れられない知性に外なりません。
未熟な言語とは、死の世界を受け入れられない言語に外なりません。
成熟した知性とは、死の世界を受け入れられる知性に外なりません。
成熟した言語とは、死の世界を受け入れられる言語に外なりません。