第三百四十四話 「新代」にしか未来はない

“神よ!彼らは(人間は)自分が何をしているのかわかっていないのです!”
2000年前にイエス・キリストがこう言って以来、わたしたち人間は文明社会をつくってきたにも拘わらず、何も変わっていません。
文明とは宗教と科学に外なりません。
古代・中世における文明とは宗教でした。
近代・現代における文明とは科学でした。
宗教・科学によって発展してきたわたしたち人間の文明社会でしたが、イエス・キリストの時代と根本的に何も変わっていないのです。
却って、時の経過と共に、ますます、二重の錯覚が酷くなっています。
それが、現代超拝金主義社会です。
“お金がすべてだ!”
一握りの人間だけがこう叫ぶのは拝金主義です。
拝金主義は好い悪いは別にして、自然の食物連鎖の法則に則しています。
つまり、
量的優位性は質的劣位性を呼び、質的優位性は量的劣位性を呼ぶ。
“お金がすべてだ!”
すべての人間がこう叫ぶのを超拝金主義と新田哲学では呼びます。
つまり、
超拝金主義とは、質的優位性=量的優位性という不可能な考え方です。
わたしたち人間は、なぜこの2000年間何も変わらず、却って、ますます酷くなっていったのでしょうか。
死に対する理解の欠如が原因です。
「食う食われる」意識が、自然社会の生きものが持つ「死の観念」です。
「殺す殺される」意識が、人間社会の生きものが持つ「死の概念」です。
「死の観念」は実在するが、「死の概念」は「死の観念」の不在概念に過ぎないのです。
何故ならば、「死の概念」を持って生きているわたしたち人間も、結局の処は、「食う食われる」意識、つまり、「死の観念」を持たないと生きてゆけないのです。
生きものが何も食べないで生きてゆけないのです。
それなのに、旧約聖書、つまり、宗教は言います。
“汝、殺すなかれ”
それなのに、現代社会の法律、つまり、科学は言います。
“殺人は犯罪だ!”
「殺す殺される」原点にある「食う食われる」意識なくして、生きものは生きてゆけないのです。
宗教・科学が死の問題の解決にまったく役に立っていない、逆に、邪魔をしていることに、もういい加減気づくべきです。
古代・中世・近代・現代という文明社会にピリオドを打って、「死の理解」ができる新しい時代、つまり、「新代」に進んでいかない限り、わたしたち地球上の生きものの未来はありません。