第三百四十五話 “過去・現在・未来”は時間ではない

「死」とは、一体どんなものなのでしょうか。
「生」には、昨日があって、今日があって、明日がある。
つまり、
「生」には、“過去・現在・未来”という、いわゆる、動く(流れる)時間がある。
では、
「死」には、明日がない、いわゆる、この先は「行き止まり」の場所です。
だから、
「行き止まり」を(dead end)と言うのです。
つまり、
「死」とは、“過去・現在・未来”が一切ない、『今、ここ』にだけあるものです。
では、
“過去・現在・未来”と『今、ここ』の違いとは何でしょうか。
“過去・現在・未来”とは、『今、ここ』の一枚一枚のスナップ写真、つまり、「映像」に外なりません。
だから、
『今、ここ』が実在で、“過去・現在・未来”は『今、ここ』の不在概念と新田哲学が主張する所以です。
わたしたち(どぶねずみ)人間は、実在しない“過去・現在・未来”に想いを馳せて生きているのですから、どんなことをしてもすべて実現不可能です。
未来をつくるためには、過去・現在が必要なのではなくて、『今、ここ』が不可欠なのです。
何故なら、「死」とはもうこれ以上先がない、つまり、明日(未来)がない場所ですから。
つまり、『今、ここ』の終着駅が「死」に外なりません。
一枚一枚の『今、ここ』のスナップ写真を取っていって、その積み重ねたものが映写フィルムになって、人生という白いスクリーンの上に映像として映し出される。
それが、まさに「夢」が実現したことに外なりません。
「夢」とは実現するものが本来です。
実現するものが現実に外ならないのです。
「夢の世界」=「映像の世界」=「“過去・現在・未来”の世界」の所以です。
「現実の世界」=「実在の世界」=「『今、ここ』の世界」の所以です。
未来をつくるためには、過去・現在が必要なのではなくて、『今、ここ』が不可欠なのです。