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第三百四十六話 “過去・現在・未来”は一方通行ではない 「死」=『今、ここ』こそが実現する未来をつくる。 更に言えば、 『今、ここ』こそが、実現した“過去・現在・未来”をつくるのです。 『今、ここ』こそが、実現した過去、実現している現在、実現する未来をつくるのです。 わたしたちが想いを馳せている“過去・現在・未来”は決して実現しません。 『今、ここ』によって実現した“過去・現在・未来”は映像の映っている映画ですが、想いを馳せることによって実現しない“過去・現在・未来”は映像の映っていない真っ白なスクリーンのままなのです。 わたしたちが鑑賞している映画は、実現した“過去・現在・未来”の再現に外ならないのです。 厳密に言えば、 わたしたちが鑑賞している映画は、実現した過去、実現している現在、実現する未来のスナップ写真(静止画フィルムの映像)の連続体に外ならないのです。 言い換えれば、 映画とは“過去・現在・未来”という記憶の再現(再生)に外ならないのです。 厳密に言えば、 映画とは“過去・現在・未来”という光景の記憶の再現(再生)に外ならないのです。 従って、 “過去・現在・未来”とは「時間」ではなくて、「空間(光景)」に外ならないのです。 走っている『今』という名の時間の汽車の中にいる自分の居る場所である『ここ』、つまり、『今、ここ』での動作(行動)が窓というスクリーンに映画として映っている、それが、窓外に観える“過去・現在・未来”という光景(映画)に外ならないのです。 つまり、 “過去・現在・未来”とは、『今、ここ』の再現(再生)映画に外ならないのです。 夜間眠りの中で観ている夢は、そのことを見事に証明しています。 昼間目が覚めている中で観ているいわゆる現実も、夢という映画である証明でもあります。 夢といわゆる現実との違いは、“過去・現在・未来”という時間の流れが一方通行なのか、両方通行なのかの違いです。 従って、 “過去・現在・未来”は本来両方通行であるのです。 過去→現在→未来だけでなくて、未来→現在→過去もあり得るのです。 |